呉昌征

台湾の人。
1942年、1943年と首位打者

当時は品質の粗悪な飛ばないボールを使っていたため、首位打者ではあるものの打率はそれぞれ.286、.300と低かった(1942年の打率.286での首位打者は史上最低記録)。wikipediaより。


1944年から阪神へ。そちらではピッチャーもやったそうだ。盗塁王にもなりノー日とノーランもやっている。トレードのいきさつが面白い。

1943年シーズン終了後、台湾に帰郷する為、巨人を退団。台湾へ向かう準備で訪れた大阪で、同地の企業・神島化学に勤務することとなった。神島化学の社長・宮内清が阪神球団社長の富樫興一に呉を紹介したことで、阪神軍に移籍することとなった[2]。この移籍については、金銭トレードとも書かれることがある。wikipediaより。