カノッサの屈辱 #22 デートの歴史 デート産業革

1980年代に入り歴史はデートに関する優れたマニュアル本を数多く輩出した。そして、こうした書物は女性を喜ばせるためのデートの要素や方向を男性に伝え、わが国のデート文化は急激な発展をみせたのである。
このようなデートのマニュアル化、オートメーション化による恋愛上の大変革をデート産業革命という。また、それ以降に芽生えた、「デートのよしあしはどれくらいのお金をかけたか」によって決まるという考え方をデート資本主義という。

デート。男女こそ私がもっとも注目している分野だ。

近来、経済学ではこの時代のデートにおける男性の役割を労働者に例え、女性はその利潤を吸収していく資本家と表現している。
デート資本主義社会、その中において労働者である男性は、プレゼントの購入費やレストランでの食事代、さらにホテルの宿泊費を捻出するためにビルの清掃や道路工事の交通整理といった過酷な労働に従事し日夜肉体を酷使し続けていたのである。

現在では常識とされているものでも、我々は疑わなければならない。いつ、なぜ男は女に金を出さなければいけないようになったのか。


○1970年〜1975年 原始共産主義デート
1960年代、デートはランデブーという言葉によって表現されていた。そもそもデートという言葉が定着したのは1970年代に入ってからである。とはいえ貨幣経済が未発達であった当時のデートは井の頭公園などで散歩し、そしてボートに乗るといった、ごく質素なものであった。しかも、その頻度は1週間に1回程度であったという。
原始共産主義の時代といわれた、その当時のデートは、常に共同労働そして平等分配という原則の下成り立っていた。その典型的な例として、今日まで語りつがれているのがこのペアルックである。


さらに平等分配の当時のデートではソーダを飲むさいに1つのグラスに2本のストローという形をとっていた。ただし、時として1本のストローでソーダが分配される場合もあり、それは間接キスと呼ばれたという。
こうしたソーダ水を飲む喫茶店へ、ごくまれに足を運んださいに質素な原始デートにも金銭の支払いが生じる。しかし、その場合も共同分配の考えに従いワリカンの原則が守られていたのである。


また当時は、生殖行為を行う場として今日のように多額の金銭を必要とするシティホテルが選ばれることはなかった。そのさいもっぱら男性たちはギター、レコード、アルバムといった3つの道具を用いて自分の住居にいざない女性をもてなしていたのである。その一度の生殖行為は長期間の同棲を意味し、こうした男性の行動派は歴史上「下宿へ囲い込み運動」といわれた。

70年代前半というと、飛び出せ青春とか神田川とかの時代だ。なんか良い時代に思えてきた。


○1975年〜1980年 中世封建主義デート

1970年代も半ばをすぎるとデートにおいて女性が積極的な態度を見せ始める。ここでは歴史上めずらしく男性が女性よりも優位な立場をとる。

JJの手編み特集でマフラーやセーターが流行る。JJも、たまにはいいことをする。しかし手編みのマフラーなんて迷惑なだけだ。女性諸君はそのことを覚えておいてほしい。

○1980年〜1990年 デート資本主義
1977年創刊のポパイ、1979年創刊のホットドッグプレスといったデートマニュアル本が出現。

こうしたマニュアル化そしてオートメーション化されたデートは、これといったとりえのない一般的な男性に波及し、世の男性はデート産業革命の到来に随喜の涙をこぼしたという。


しかし、その喜びも束の間であった。歓喜する彼らの前に登場したわずか一冊の本によって、男性労働者の運命は大きく揺らぎ、その存在は資本主義デート社会の歯車のひとつへと変化していったのである。   
1981年「なんとなく、クリスタル」(また、これか)の登場によって、ついにデート資本主義の理論は完璧なまでに構築されるのであった。さらに、この書はデート社会にブランド思想を植えつけたのである。その著者こそ田中ヤスラテスに他ならない。


彼の思想は人々のデートの価値観を大きく変えた。それまで新宿や渋谷のデートで満足していた人々を、より高度なデート文化が集中する青山や六本木に導いたことはその一例である。

しかし、その結果としてブランド思想の伝播とデートの場所移動は恋愛社会に急激なインフレーションをもたらしたのである。予想だにしなかった事態に浮き足立つ男性労働者たち。その彼らの元にさらなる二つの大きな波が押し寄せるのである。

1983年まず一つ目の波が押し寄せる。モータリゼーションである。それによりスキー、テニス旅行といったデートが加わり、その行動範囲は急激に拡大した。その一方で車のローンに苦しむ男性労働者たち。

そして1986年には第二の波グルメブームが到来する。これにより男性労働者たちは、わずか数年前までは許されていたシェーキーズの10倍以上の出費を余儀なくされるのであった。

さらに女性資本化たちを利潤の追求へと導いたのは1987年のHanakoの創刊である。


近年のデート費用のインフレ要因については様々な研究がなされている。なかでも大きな要因とされているのが若者間の恋愛におじさんが参入してきたという事実である。


しかし、この年こうしたデート資本主義の矛盾をきっかけに男性労働者たちの気持ちが結実しある思想が誕生したのである、
それは金銭にとらわれることなく純愛を奨励する純愛社会主義思想であった。
その思想を継承した男こそ村カール・ハルクスである。その思想を具体化した著『ノルウェイの森』は人々から多くの支持を得、デート資本主義の時代も終焉を迎えるかに見えた。

しかし、ここでノルウェイの森が出てくるとは思わなかった。当時の時代背景を考えると村上春樹にも、また違った側面が見えてくる。

しかし1989年に入り、女性資本家たちは自分の周囲に複数の労働者をはべらせコンツェルン、つまりは財閥を形成し始めたのである。この裏側にはミツグ、アッシーなどその役割を分担することによって、デート費用を一人ではまかないきれなくなった本命労働者の負担を少しでも軽くしようといった意図があったという。

デート資本主義、それは確かにデート文化を飛躍的に発展させた。しかし、それによる搾取と恐慌の犠牲はあまりにも大きい。
今、世の中の男性労働者は、あのワリカンの日の再来を待ち望んでいるに違いない。そんな彼らに歴史はこう叫んでいるのである。万国の労働者よ、団結せよ!と。

そして2009年、男性労働者は突然変異種ヲタの出現により非婚という立場を選択することを発見。女資本家をイキ後れにすることに成功。
性労働者のストライキにたいし、女資本家は婚カツにより歩み寄りの姿勢を見せるが、内実は高度な技能を有する労働者との専属契約を求めているだけであった。