ちょっと早いけど僕の自叙伝です。<改訂版> (角川文庫)

ちょっと早いけど僕の自叙伝です。<改訂版> (角川文庫)

棋士番号131

 

竜王4期、名人5期、王位6期、王座1期、棋王3期、王将4期、棋聖4期の合計27期。

 

藤井聡太さんの人気がすごいが、谷川さんも中学生で棋士になり、21歳で名人位を獲得していて、そのさいは取材が多かったらしい。

 

そんな谷川さんの自伝。タイトルにちょっと早いけどとあるように26歳(平成元年)のときに書かれた本である。

その後、12年後に書き加えて、改訂版をだした。

 

谷川さんの父親は僧侶。谷川さんが5歳のとき、5歳年上の兄と喧嘩ばかりするので、将棋をすれば仲良くなるのではないかと、将棋盤を買い与えた。谷川さんによれば、5歳で覚えたのがちょうど早すぎずおそすぎずで、さらに兄という自分より強い存在がいたことが幸運だったとのことだ。

 

苦労せずにプロ入りしたのかというとそうでもなく、小学校6年生で3級になったが、その後2級になるのに11ヶ月かかった。その代わり、2級から4段までは、1年と9ヶ月。三段から四段までは5ヶ月。だから、プロ入りもそこまで感激はしなかったとのこと。制度も現在と異なり、12勝4敗で四段に昇段できるものだったのである。

 

中学生でプロ入りしたが、高校に進学した。同級生が甲子園に出場したときは、ほかの学校の女子高生がサインをねだられたりしたのに、プロである自分は女子高生からサインをねだられることはなかった。それが谷川さんは不満だったようだ。

 

プロ入り後は、名人を取る。最初にとったのが権威ある名人だったというのは、不運だったかもしれない。

 

当時、羽生さんは5段だが、もう有名な存在で、今後台頭してくるであろうことを予測して本は終わる。

 

特徴的なのは、谷川さん独特のユーモアセンス。

まずいのは、お相撲の世界にも、若松部屋という有名な部屋があることで、これとごっちゃにされると大変な誤解になる。

「若松部屋出身、朝潮水戸泉、谷川ーっ」

思わず四股でも踏みたくなってしまうではないか。

それは冗談だがーーー。

 

「谷川の次は羽生である」と。これはもちろん、私の次にいい男であるのが羽生君だとか、谷川岳に登ったあとは羽生の宿にとまるなどといった意味ではない。

 

谷川さんは、このような自伝的本を書くのが早すぎたと思う。こういった生い立ちやら考え方やらを公開してしまうのは勝負のうえでよくなかったのではないか。対局相手には得体のしれないようなそんな不気味な存在でいたほうがいいと思う。そのあたりを気をつければ、もうちょっとタイトルは増やせたのではないかと勝手に思うのだ。