太賀麻郎

1984年にデビュー。AV男優という言葉が生まれていなかった時代だ。名前が定着したという意味では初めての男優だろう。
きっかけはエロ本の募集広告を見ての申し込みである。面接に行ったらルックスの良さから担当者から本当にやるのかと驚かれたらしい。当時のAV撮影ではどう撮ったらいいのかわからず、監督も男優も女優もとまどっていたということである。男優も職業として確立していなかったため、当初は機材を運んだりもやっていたそうだ。
業界で有名になりギャラは高騰。さらに、当時AVの撮影数は少なかったため、ほとんどのAVに出演。道をあるけば指をさされるほどに有名になってしまった。彼はもてまくったため一時期は100股をかけたのだそうだ。
しかし、それがあだになり、やくざから日常的に恐喝をうける。wikiによると父の永井健司は服飾デザイナーで、日本七大ブランドの一つであるJAZZレーベルの創始者ということで、まったくAV男優だって親は著名人だったりするのだ。