中島治康

日本プロ野球史上初の三冠王

1938年秋季には打率.361、本塁打10、打点38でプロ野球史上初の三冠王となった。当時は三冠王という概念はなく、1965年に野村克也三冠王と獲った時に1938年の記録をどう扱うか問題となった。当時は春秋を二季に分けて考えるのか春秋合せて一シーズンと見るのかはっきりした判断が下されていなかった。コミッショナー内村祐之による裁定で春、秋それぞれ独立したシーズンということが確認され1938年秋の中島がプロ野球初の三冠王と認定された。

ということで、これだけ見れば通年では三冠王にならないように思って調べてみた。
1938年春季も中島が首位打者なので、通年でみてもたぶん首位打者。ホームランは春季5本でタイトルのハリスが秋季6本で合計11本。中島は春季に1本だけなので計11本。これも同点でホームラン王だ。打点も春季1位の景浦は秋季には出場していないなど、通年でも打点王である。んー、なんかへんだねー。
同様の疑問を持っている人はいるようだ。つまりはwikiの記載が誤りってことかな。
タイトルを考えるときシーズンを通年とするか半期ずつとするかの見解をはっきりさせる必要はあるので、1938年秋季でタイトルを取り三冠王を取ったという位置づけになったのを書く人が誤解したのだろう。