景浦將


タイガースの最初の伝説的人物というと景浦。バッターとしての印象が強いが最初の頃はピッチャーをやっていてタイトルもとっている。


景浦もまた戦争の犠牲者だ。

1940年に1度目の応召。1943年に復帰、以前通りの長打力を発揮したが、守備では兵役中に過度の手榴弾の投擲によって肩を痛め、主に肩の負担が少ないファーストを守るようになった。それでも兵役の影響で守備力は落ち、相手チームのファンからは、同じく兵役から帰還した藤村富美男が守る二塁との間をねらえという野次が飛んだという話がある。

のちに景浦は実家の家業を継ぐため、同シーズン終了後に引退した。1944年に2度目の応召、当初は満州で従軍し大相撲力士の前田山英五郎(戦後に第39代横綱)が慰問で虎林市に滞在していた折に、訪問してきたときには歯が抜けてとても痩せていたため、愛媛県の同郷でもあった前田山は当初景浦だとは信じられなかったという

そしてあぶさんのモデルということでも有名。
水島御大の映像。これ何時何処のものなんでしょ。


首位打者:1回 (1937年秋)
打点王:2回 (1937年春、1938年春)
最優秀防御率:1回 (1936年秋)
最高勝率:1回 (1936年秋)