ショージ君の青春記

著者:東海林さだお
ショージ君の青春記
東海林君といえば毎日新聞の4コマ漫画アサッテ君週刊文春のタンマ君のほか、食べ物エッセイが有名だ。


しかし、こちらのほうは彼の早稲田大学での学生生活までを描く若い頃の回顧録である。
ショージ君は昭和12年生まれ。昭和ひとけたの世代ではないため、終戦により価値観がひっくり返るといった体験はしていないが、いっぽうで戦争時の記憶は確かにあるので戦後派とも違うといったところで、昭和10年から15年くらいの生まれはどの世代にも入れてもらえない谷間の世代だと言っている。
同年の生まれは安部譲二とか伊東四朗か。逆に昭和一桁と言うと例えば野坂昭如永六輔というわけで、確かに世代的に違うと言えそうである。


当時の世相が色々興味深い。彼の疎開先は栃木。疎開児童は例外なくいじめにあったそうだ。土地の人に間借りするため農家の物置などに住むことに加え、土地の子供より勉強ができるからだそうだ。昔は地方の農家などは勉強をしていられる状態ではなかったということだろう。


1浪後早稲田大に進学した。学生運動にはあまり参加しなかったようである。当時の早稲田大自体、あまり熱心ではなかったのだろうか。
漫研に所属。で、大学で漫研といえば80年代ごろにはおたく叩きの被害にあっているように思うが、どうもこの本を読む限りそのような描写はない。かといって女性部員がいるわけでもないので暗くもてないといえばそうなのだが、おたくのイメージはなさそうだ。たぶんアニメが出てきてからなんでしょうね。


当時の大学生の遊びというと、社交ダンスやキャバレー。石原裕次郎の映画の影響だそうだ。他に女性とのグループ交際ではハイキングやキャンプファイヤーなど。さらには、ショージ君は行かなかったといっているが赤線。今ではゲイの聖地となっている新宿二丁目ももともとは赤線で公認された売春業の街だった。
他、早稲田大らしく酒をのんで大学祭で盛り上がるといったところで、このあたりは何時の若者も変わらない。


読み物として面白いのは終盤の部分。
卒業できないことが確定的だった23歳くらいのとき、自宅から売春街にあるアパートに引っ越した。そこでは、ただ鼻の掃除と風呂と覗きにあけくれ、たまにアルバイトをするがたいして収入にならないため生活に困ると実家に帰り自営業の家のレジから金をくすねる酒を飲む毎日。
そんな自分をこう表現している。
学校に籍はあるが学生ではなく、漫画家ではあるが、漫画家としての仕事はなく、定年退職者のようではあるが、定年ではなく、楽隠居の生活ではあるが、金はない。
これって理想の生活かもしれないね。