カノッサの屈辱 #31 クリスマス化学史 元素記号Hの発見

○1950年代
1956年、クリスマスの日にオトーサンがキャバレーでホステス相手にプレゼントするのを嘆く記事が週刊新潮に掲載されている。
昭和30年代といえば三丁目の夕日の時代であるが、オトーサン文化と週刊誌文化は、この頃既に健在であった。
むしろ、ホステス相手にプレゼントできるんだから、戦後10年のこの頃のほうが中年男性は裕福だったのかもしれない。
週刊誌の記事って50年経ってもほとんど進歩してないように見える。


○1960年代〜70年代 
子供を中心とした家族で祝う伝統的キリスト文化を模倣する時代。
もみの木はドイツ、靴下トルコ、七面鳥イギリス、きよしこの夜はオーストリアのものだそうだ。日本だけ、つぎはぎの文化になったのか?
1974年にケンタッキーがパーティバーレル発売。クリスマスにフライドチキンを定着させる。


○1980年代前半
1980年ユーミンが「恋人はサンタクロース」と歌う。全時代的な牧歌的クリスマスの終わりを予見したような、そのフレーズは確かにユーミンのすごさを感じる。
もっとも1980年当時の男性雑誌ポパイでは、クリスマスはセックスする日とはなっていない。逆に、1983年アンアンでは「クリスマスの朝はルームサービスで」との見出しがあるわけで、クリスマスはセックスする日という流れを作ったのは女性雑誌という可能性がある。いや、これに限らず80年代流行の大半は女性雑誌が先導的役割を果たし、男性雑誌は、その後追いをしていただけだったのかもしれない。


○余談
wikipediaのクリスマスの頁。
1930年代から、パートナーのいる人にとっては着飾ってパートナーと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈る日であった。その一方で1931年(昭和6年)には、パートナーのいない"不幸な青年たち"には方々のレストランが「一円均一」のクリスマスディナーを売り出すなどして歓迎した、とも報じられた


○豆知識
ブランドの序列。80年代の序列だが覚えておいて損はあるまい。いや、使う機会がないならば、それは良い人生というべきだろうが。
クリスチャンディオールルイ・ヴィトンティファニーアルマーニカルティエ