朝、職場の建物に入るときに前を歩いていた女の人がガラス扉を開けたままで私を待っていてくれようとした。といっても、私との距離は10mほどである。小走りしようかと思ったが、そのままのペースで歩いたら彼女は笑いながらちょっと頭を下げて扉を閉めた。若さ弾けるような人だったな。今度会ったら話しかけてみようっと。

 

地震があった。大きな地震があると職場で対応の必要が出てくる。隣の課がテレビをつけて、例の彼女もテレビの前に集まった。私も自分の課にテレビはあるのだが、便乗して隣の課のテレビを見に行った。

今日の彼女は機嫌がいいようで、別の職員に話しかけたりもしていた。というか、私といると不機嫌なだけかもしれない。それはともかく、彼女の声は今でも受け入れられない。美声ではある。しっとりとしていながらも芯の強さと知性が感じられるとても良い声だ。

でも、私にとっては11年前のイメージが強烈に残ってしまっている。11年前は4月1日の金曜日から4月15日の金曜日までの2週間だけの出会いだった。今の彼女のほうが知っている期間は長いということになる。それなのに。彼女の容貌が衰えたわけでもなく、むしろ美しすぎるくらいなのに、私の好きだった彼女はどこにもいないのだと思うと虚しさを感じてしまっている。なんなんだろうね、この感覚は。

 

人生のメイン部分が受け付けないというのは本当によくわかる。ゲームやったり本を読んだりといった周辺が全てだったらよかったのだが。

 

今日も帰りに漫画喫茶。コンビニで買った食料を持ち込んだのが、この店はアルコールはだめなのか。まあ缶を持ち帰れば問題ないでしょう。