生きてこそ光り輝く―19歳、養護学校から女流王将へ

生きてこそ光り輝く―19歳、養護学校から女流王将へ

石橋幸緒 LPSA番号10

タイトル獲得通算3期

 

私はプロ棋士女流棋士に一度しか指導対局を受けたことがない。

その人が石橋幸緒さん。

2007年のことである。時がながれるのは早いものだ。

 

この本は生い立ちから1999年に初のタイトルを獲得したときのことまでを綴っている。

 

生まれたときは未熟児で腸閉塞を起こしており医者からは3日持つかどうかと言われていた。

その後も病院に入院続き。病室には同じように病気の子供がいたが、亡くなったり退院していなくなる。亡くなった子より退院した子にたいしてのほうが寂しさを感じたという感想はなかなかに重い。

 

その後、小学校に入学するときもユニークだ。そのときの、石橋さんの状態は普通学校か養護学校かどちらもありという状態。学校に通わせたい、普通学級に入れたいという親もいるが、石橋さんの母は、学校に無理にいかせることはない自分が面倒を見るといって市職員とけんかになってしまう。

 

将棋との出会いは小3。看清水市代さんの父親がやっている将棋教室の看板を見て、そこに通いだした。

将棋教室ではもちろん、おじさんが多いのだが、病気のことなどは聞かずに将棋だけの関係になるのが石橋さんにとっては心地よかったようである。

他、将棋の家庭教師にもきてもらう。3回やって石橋さんが2回勝つようになったら辞めてもっと強い人を紹介してもらうというルールだったそうだ。そしてプロ棋士の所司さんと出会うなどして勉強の場が広がる。

その後、プロ棋士になり、タイトル獲得までになるというわけだ。

 

この本を書いた後の出来事といえば、女流棋士分裂騒動だろう。

 

石橋さんは新団体で理事になるも、将棋連盟と対立し、結果対局拒否をしてしまった。

どちらにも言い分はあるのだろうが、石橋さんは同じ団体の人からも否定されてしまったので、そういうところからすると石橋さんに問題があった部分が大きいのだろう。

 

責任を取るような形で2014年に引退したが、今は何をしてるのだろうか。

ツイッターはあって時々ツイートしてるのだが、他の棋士らから触れられていないようである。