著者:二上達也
棋士番号57。
1950年プロ入り。1990年引退。
二上さんは会長をやっていたころ、NHK杯の表彰をしていた姿を覚えている。1990年引退ということで、対局のほうはよく覚えていない。調べると実はタイトル戦に26回も登場している。しかし、そのうち20回が大山十五世名人とで、そのうち二上さんが勝ったのは2回だけだ。総タイトル獲得数は5期にとどまっている。しかし、最後の方で、米長、中原、加藤といった年下とのタイトル戦に勝ったのはすごいことだ。
この本は日経新聞の私の履歴書をまとめたもの。二上さんの生い立ちから引退して会長職に就任しての活動までを綴っている。
晩年は、羽生さんの師匠という取り上げられ方をすることが多かった。その羽生さんとのエピソードはあまりないのだが、ちょっとおもしろい挿話がある。
羽生さんがデビューしたてで勝ちまくっていた頃、ハブニラミと言われる、対局相手をじっと見る癖があった。ともすればマナー違反ともなるが、師匠である二上さんは注意しなかった。
なぜなら、二上さんも継母から「この子はなんて鋭い目をしているんだろう」と言われたことがあり、それがトラウマだったからということ。継母からいじめられたりはしなかったが、そのことが故郷の函館をはなれ棋士を目指すきっかけのひとつになったということである。
当時は奨励会への入会試験もなかったため、師匠が紹介するとあっさり入会。
三段リーグもなく、十二勝四敗以上の成績だと四段になれる。
天才と言い切れる棋士は加藤一二三ただ一人。もっとも二人の対戦成績は二上さんが1局勝ち越している。
大山名人の盤外戦術。麻雀好きでタイトル戦のときには関係者を麻雀につきあわせる。
周りの人はみな麻雀仲間でアウェイの雰囲気。
将棋会館建設のいざこざ。当時の理事が秘密裏でことを運んで、企業から寄付をもらう話をつけてきた棋士がこっそりリベート要求など。
升田大山の違い。升田さんとは一緒に飲むといろいろほめてくれる。しかし、大勢がいると二上はなっておらんと叱られる。
二上さんの世代は上の升田大山と下の中原に挟まれた世代。