東海の鬼 花村元司伝

東海の鬼 花村元司伝

棋士番号39

真剣師(賭け将棋)からプロになったという経歴の人。

マチュアからプロ入り試験を受けてプロになった人は、ここ最近何人かいるが、皆元奨励会にはいた。

花村さんは、そうではなくて、賭け将棋をやっていたおり、強いからっていうのでプロの推薦を受けて、試験を受けて合格。奨励会には在籍していない。

 

当時の真剣師やトップのアマチュア棋界の様子がわかるのが面白い。当然、力の差があると真剣師は平手では指さない。最初はわざと負けて賭け金を釣り上げるなんてテクニックはあるが、それにしたって将棋だけで生計を建てるような人が何人もいるとは思えない。

この本を読むと、パトロン的な人がいたようである。もともと、将棋のプロというのは徳川幕府の庇護を受けていた家元が、その後明治になって資金を集める必要にせまられ、新聞社のスポンサーをえるというのが起源だ。

 

プロテストは昭和19年、戦争中に行われた。木村14世名人が独断的に行ったらしい。確かに緩かった時代のプロ制度とはいえ第一人者の支持なしには、アマから特例でプロ入りはならなかっただろう。

プロテストのほうはというと、若手棋士二人に二連敗の後、中堅的な棋士二人に半香(香落ちと平手を1番ずつ)でやって、どちらも2勝。4勝2敗という成績だった。

 

花村さんの名前は将棋雑誌を読んでいた時代に目にしたことがある。森下九段との逸話だ。プロ棋士になろうとする場合、師匠が必要になるが、それはたいてい形式的なもの。師匠が弟子に将棋を教えることなどほとんどない。

しかし、花村ー森下は別。1000局を超える指導対局をした。自身は、A級まで昇級したもののタイトルは取れなかった。大山名人に2度挑戦したものの、いずれもストレートで破れている。

真剣師で培った勝負術が名人には通用しなかったのである。そのため、弟子の森下には、正統的な将棋を教えた。

しかし、森下さんもタイトルは取れなかった。逆に正統派将棋が羽生マジックにやられてしまったのである。

 

この本には、花村さんの指した印象的な一手を森下九段、深浦九段が解説もしている。昔の棋士の指し手は今の時代から見ると遅れている部分もあるが、やはり光る部分ももっているように思える。