夏の甲子園 不滅の名勝負1915〜2002 第3巻 春夏連覇への挑戦

●第41回(1959年:昭和34年)
皇太子殿下(現天皇)が開会式に登場。
前回は1都道府県1代表だったが、それは40回大会記念大会だったためで今大会は29校が参加。それでも北海道が南北に分かれるなどチーム数は増えていく傾向だ。


●第42回
法政二高の柴田勲と浪商の尾崎行雄の対決。柴田勲はプロ入り後は打者で活躍したが高校のときはピッチャーだった。


●第43回
法政二高は春も優勝。夏春夏の三連覇なるか。しかし、準決勝で再び浪商と対戦。
今度は浪商の勝ち。決勝は和歌山の桐蔭高校。桐蔭というと今では神奈川の印象が強いですが、和歌山のほうは県立なので別の学校でしょう。


●第44回
春、優勝した作新学院が夏も優勝して史上初の春夏連覇
春にエースだった八木沢荘六(後にプロ入りしてロッテの監督もやった人だ)が赤痢になってしまい試合に出られなくなったが、代わりのピッチャーが活躍。その加藤投手プロ入りするも交通事故死する。


●第45回
また記念大会で48校が参加。沖縄の首里高校が沖縄勢として初勝利。
春に優勝した下関商業は決勝で敗れて春夏連覇ならず。エースの池永正明は後に黒い霧事件で永久追放になってしまう人だ。


●第46回
高知高校が優勝。4番でエースの有藤通世は第1試合でデッドボールを受け入院中だった、キャプテンもやっぱりデッドボールで入院中。優勝旗をもって選手が病院に行くシーンも納められているが、お互いに複雑な心境だったろう。


●第47回
バッターがヘルメット着用。


●第48回
京商が6回目の優勝。二校目の春夏連覇


●第49回
1回戦で報徳学園がサヨナラホームスチール。
優勝は千葉の習志野


●第50回(1968年)
市川崑が記録映画を撮る。
優勝は大阪の興国。準優勝の静岡商のピッチャーは新浦壽夫