橋幸夫

1960年代のアイドルといえば御三家。
その一角が橋幸夫。デビュー曲の『潮来傘』(1960年)でレコード大賞新人賞と紅白出場も果たす。

この潮来というのは茨城県潮来市を舞台にしている。正直いうと歌詞もメロディーもあまり印象に残らず、なぜ大ヒットしたのかよくわからん。



それより今でも有名なのは吉永小百合とのデュエット『いつでも夢を』だろう。最近では朝ドラ『あまちゃん』でも使われた。こちらのほうは、確かに分かりやすく名曲だ。ちなみに作曲の吉田正茨城県出身である。



私が知ってる橋幸夫のことはそれくらい。wikipediaにのってるサンヨー食品のCMは上記。ボンチおさむにされた物まねを逆パロディーしたってことだが、そのあたりの経緯は時代が違うと分かりにくい。


それよりもwikipediaに載っていた記事で興味深いのは80年代に活躍したアイドル「セイントフォー」のプロデュースが橋幸夫だったということ。つんく秋元康みたいなことを先にやっていたのである。さらに、このセイントフォーは所属メンバーがいうには、「オーディション詐欺」だという。ろくに給料も払われず逆に金をまきあげられていたというのだ。後に加入した岩男潤子も親が金をとられていた。


もちろんプロデューサーである橋幸夫がこの詐欺にどれだけ関わったのかは分からない。プロデューサーとして名前だけ貸していた、あるいは本当にプロデューサー業だけを熱心に行ったという可能性もある。ただ、プロデューサーである以上、運営や金回りについて権力を持っていたということも十分考えられ、そうなるとこのセイントフォーを食い物にしたのは彼なのではないかという疑念がつきまとう。そう思うと、もう彼の顔が悪人にしか見えなくなってくる。そう、彼は悪人顔だ。
応援するべきか疑うべきか、それが問題だ。