日本ダービーの歴史。第1回(1932年)から第31回(1964年)を収録。レースと事前予想、それから関係者の談話などもところどころ入っていて見ていてなかなか面白い。
特典で井崎脩五郎の対談が入ってる。進行は高島彩で最初見たときは分からなかった。けっこうギャルっぽい感じ。
1回、2回は目黒競馬場で行われ3回から今の東京競馬場に移った。目黒にはバス停や信号に競馬場跡という名前が残っている。過去のレース映像が残っているのはすごいことかもしれない。最初のほうは雨や曇り続きだった。
昔は調教と騎手を同じ人がやっていた。多いときは30頭以上でレースした。
昔は電光のスクリーンなんてなかったから、客はぴょんぴょん飛び跳ねて見てた。
1944年は戦争のため観客をいれず馬券も売らない能力検定競走を行った。1945年、1946年は中止。1947年から再開。その観客の映像を見ると割りと服装もしっかりとしていた感じである。ギャンブルをやれたのは富裕層ということか。
私は勘違いしていたが牝馬三冠というのがあるから、皐月賞、ダービー、菊花賞の三冠は牡しか出られないと思っていた。初期の頃はメスのほうがたくさん出走していたほどである。これには理由があって、メスのほうが子供を産むためレースで勝てば高く売れるからということだ。今ではオスの種馬のほうが、たくさん子供作れるから価値は高いのだが、当時は種馬は外国から輸入するという考えしかなかったようである。
馬券は1人1つしか買えず、最低単位が20円その後10円に緩和されたが、それでも高額で会社員の月給くらい。
井崎脩五郎がいうには昔は競馬場で見ず知らずの人間が馬券を共同購入することがあったそうだ。馬券を持ち逃げしないように、数人が腕を組んでレースを見ている光景があったとか。
○問題
競馬のクラシックレースの1つ/第1回優勝馬はワカタカ/東京競馬場・芝2400m/正式名は「東京優駿」
→日本ダービー
日本の牡馬三冠レースといえば皐月賞、日本ダービーと何?
→菊花賞
中央競馬で、桜花賞、皐月賞、オークス、ダービー、菊花賞の5つを特に「○○○○○レース」という?
→クラシック
日本ダービーは○歳の頂点を決めるレース?
→3
次の中央競馬大レースを距離が長い順に選びなさい。
菊花賞(3000m)→日本ダービー(2400m)→皐月賞(2000m)→桜花賞(1600m)
次のGⅠを開催されるのが早いものから並べよ
高松宮記念→日本ダービー→菊花賞→ジャパンカップ
次の中央競馬のレースとそのキャッチコピーの正しい組み合わせを選びなさい皐月賞−最も速い馬が勝つ
日本ダービー−最も運のある馬が勝つ
菊花賞−最も強い馬が勝つ
1937年に牝馬として初めて日本ダービーを制した競走馬は?
→ヒサトモ
1943年に日本ダービーを制した史上2頭目の牝馬は?
→クリフジ
東京競馬場には銅像が建っている1950年にデビュー後、ダービーを含む10戦10勝のまま破傷風で死んだ伝説の競走馬は?
→トキノミノル
次の日本の中央競馬で三冠馬となった競走馬と三冠達成時に騎乗していた騎手の正しい組み合わせを選びなさい
セントライト−小西喜蔵
シンザン−栗田勝
日本競馬史上初の三冠馬・セントライトなどを輩出した競馬史に名を残す大種牡馬は?
→ダイオライト
三冠馬・シンザンなど数多くの名馬を輩出した競馬史に名を残す大種牡馬は?
→ヒンドスタン
1932年に行われた「第1回東京優駿大競走(日本ダービー)」をワカタカに騎乗して制した騎手
→函館孫作
第1回日本ダービーを制した競走馬・ワカタカの調教師です(エフェクト)
→東原玉造(とうばらたまぞう)
1958年に、三冠レースの皐月賞、ダービー、菊花賞すべてで2着になるという珍記録を残した競走馬は?
→カツラシユウホウ
日本初の三冠馬・セントライトや1949年の二冠馬・トサミドリを産んだ名繁殖牝馬は?
→フリッパンシー