カノッサの屈辱 #15 TVドラマ東西ローマ帝国の零落と復権

ドラマといってもトレンディドラマ。トレンディドラマ誕生までの経緯を解説。そもそもトレンディドラマとは何かという問題がある。wikipediaによると
・基本的に、バブル期の女性の願望を具現化した作品群であり、恋愛主体の少女漫画の王道に準じた点もある。
・人物達の職業は流行の最先端。企業であれば広告代理店やテレビ局などのマスメディアや宣伝、企画部門。フリーランスであればデザイナーなど、もしくは“横文字職業”。
・その当時の話題のスポット、ファッション、アイテム、ライフスタイルがドラマに反映されている。
・物語は飽くまでお洒落で、軽いタッチで描かれ、表面上は決してドロドロしないことが多い。
といったところか。


山田太一倉本聰といった脚本家は今でも有名だが、山田太一の複数お友達主人公の手法がトレンディドラマに取り入れられたという部分くらいが影響を与えただけのようだ。というか1980年あたりでは、それら名脚本家のドラマが視聴率的に振るわなかったのがトレンディドラマ誕生の呼び水になったらしい。
「それらの思想があまりにも押し付けがましかったため、むしろドラマの衰退にいっそうの拍車がかかったのである」
と言われている。暗くて難しいテーマは敬遠される気持ちもわかるが、ひょっとしたら、これらも好景気のせいなのかもしれない。あの、ふぞろいの林檎たちでさえ「このドラマは多くの人の共感を導くことに成功したが、山田太一特有の暗さが伴っていたためドラマの復権に繋がることはなかった」と言われる有様だ。


トレンディドラマの立役者は「金曜日の妻たちへ」「男女7人夏物語」などの脚本を書いた、鎌田敏夫ということだ。この人の名前は初めて知った。


TBSが脚本をができあがってから配役を考えていくのに対し、フジテレビは役者をおさえてから脚本を作り始めるのだとか。なんかフジテレビのやり方には違和感を感じるが、直後の1991年に『東京ラブストーリー』が大ヒットしたことを考えると、このやり方にも優れてる部分があるのだろう。