「間取り」で楽しむ住宅読本

「間取り」で楽しむ住宅読本
当然のことながら住宅は様変わりしている。間取りの変化と社会の対応を論じた本。以下、いろいろためになったことを。
・借家・・・明治期では9割以上の人が借家に住んでいた。近所づきあいなどのコミュニティーも、もともとは借家人同士好きなところに集まってきたどうしという立場で成立したもののようである。
・玄関・・・武士の社会では玄関は非常に重要な場所だった。自分より身分の高い人を家に迎える場所が玄関であり、主人と客人しか使うことを許されず、女子供は勝手口から入るのが通常だったわけだ。しかし、客を迎え入れるということが少なくなり、防犯という観点からも入り口は1箇所が好ましいため、しだいに玄関は靴を脱着するという機能を果たすだけの場所になった。
・居間・・・建物の中で一番大事な日当たりのいい中央付近に位置するのが居間であろう。もっとも、居間が大事な場所と捉えられたのは大正期あたりかららしい。食事はかつて膳でとっていたのだが、おそらく西洋文明の流入により大きなテーブルでとるようになった。食事やお茶を飲む場所として一家団欒としての居間の必要性が唱えられるようになったのだ。それ以前の部屋は客間や書斎に重点が置かれ、家族で過ごす時間としての家という考えはあまりなかったようである。しかし、ここ数十年もっとも大事な部屋として君臨してきた居間だが近年、共働きが多くなったり子供が自室をもったりするため居間の存在というのを再検討する必要があるようだ。
・食堂・・・上記のように、一家団欒する場所が失われた現在、一家がそろって食事を楽しみ話し合う場所は食堂なので、大事な場所だと作者は訴える。
・トイレ、風呂・・・お父さんの力の象徴であった玄関や書斎が消えてしまったため、新聞を持ってトイレに入るお父さんが多くなった。トイレがお父さんの聖域になったのだ。

団欒という言葉があるが、昔の団欒というのは父親が召集して行うものだったらしい、内容は父親が一週間のニュースを家族に伝え、自分の近況報告を行い、家族の現在の状況を聞き、また子供にはお小遣いをやったり冗談を言ったりして楽しませるのだそうだ。お父さんは大変だ。間取りの変化の歴史はお父さんの力が失われていく歴史を具象化したものといっても過言ではない。

バブル期には地下や屋上などにビデオルーム等の趣味の部屋を作った人が多かったが一般的にはなっていない。それは部屋が閉じたものになっているからだ。自分だけが快適な部屋というのは確かに楽だが、家とは本来社会的な性格を持ったものである。人を部屋に通すということは大変だが客人に部屋をさらし、もてなすという行為は人を成長させる。社会性をもった客間というものの価値を見直してほしいという作者の言葉が印象に残っている。

といっている私も、人を部屋には呼びたくないんですがね。