ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人

ご臨終メディア―質問しないマスコミと一人で考えない日本人
海外で賭博生活を送っている森巣とオウムの映画をとった森が日本の問題点を語る。マスコミの問題点を指摘していて、それ自体はそれほど目新しさもなかったのだが、原因の考察が興味深かった。ひとつはテレビ局の年収の高さ。特に、番組の制作は製作会社に発注している場合が多いため、監督する立場のテレビ局員が年収が高いと立場が保守的になってしまいスポンサーや政治家と戦う気概が失せてしまうと。もうひとつは国民のレベルの反映。政治家が国民の鏡というように、視聴率というふるいにかけられて残った番組は国民が選択したものといえる。森巣は医者や法律関係者に守秘義務があるようにテレビ局にも報道は視聴率に左右されない部分を守る義務があると言っていて、確かにそうだろうがなんともならないかもしれない。
あとはナチやオウム等がなぜ無差別的な殺人を行えたのかという問に対して、森巣が、彼と彼らをわけた、つまり別の存在ととらえることによって非人間的な行いができたと答えた。森が、それらの行為は善意によって行われた。善意によって行われる行為は歯止めが利かなくなると答えた。どちらも部分的には正しいように思える。世の中は善意によって成り立っているという言葉に目からうろこが落ちた。確かにそうだよなあ。というか、今この世界がどうにか成り立っているのが不思議だ。
森は、マスコミは自分が人の不幸を報道することによって飯を食っていく汚い仕事なんだという自覚を持ってほしいと訴えている。マスコミに限らず、特権を持った全ての人は自己を律する心が必要なんだろうね。