千代大海のこった日記 テイルズ・オブ・ツッパリア エピローグ

千代大海が引退=大関在位65場所、優勝3回
2010年1月13日(水) 8時58分 時事通信

 大相撲の元大関で西関脇千代大海(33)=本名須藤龍二大分県出身、九重部屋=が初場所4日目の13日朝、引退を表明した。3日目の魁皇戦に敗れて「(引退するのは)ここしかない」と考え、師匠の九重親方(元横綱千代の富士)と話し合って決めたという。大関在位65場所は史上最長。
 千代大海は昨年秋、九州場所と続けて負け越し、関脇に転落。今場所は大関復帰条件の10勝を挙げられなければ引退すると明言して臨んだが、初日から3連敗し、苦しくなっていた。
 1992年九州場所初土俵。95年名古屋場所、19歳で十両昇進。97年秋場所九重親方が育てた初の幕内力士となった。関脇だった99年初場所で初優勝し、場所後に大関に昇進。迫力のある突き押しで人気があった。
 2002年名古屋場所、03年春場所でも優勝したが、近年は首やひざなどのけがが慢性化。この2年間は2けた勝ち星もなかった。大関かど番14回は史上最多。
 13日午前、日本相撲協会に引退届を出し、年寄「佐ノ山」襲名が承認された。通算771勝527敗115休(3日目現在)。殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞3回。金星1個。 

<大相撲>元大関千代大海が引退 年寄「佐ノ山」襲名
2010年1月13日(水) 9時14分 毎日新聞


九重部屋の前で引退の意思を語る千代大海=2010年1月13日午前9時5分、大村健一撮影


 大相撲の元大関で西関脇の千代大海(33)=本名・須藤龍二大分市出身、九重部屋=が13日、日本相撲協会に引退届を提出し、年寄「佐ノ山」を襲名することが決まった。今後は九重部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たる。千代大海大関に99年初場所後に昇進後、歴代1位となる在位65場所を数えた一方で、カド番(大関が1場所を負け越し、次に迎えた本場所)も史上最多の14回。

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 92年九州場所に16歳で初土俵。95年名古屋場所新十両、97年秋場所で新入幕を果たした。闘志あふれる突き押しで、新関脇から4場所目の99年初場所で13勝を挙げ、横綱若乃花(3代目)との優勝決定戦を制して初優勝。場所後、大関に昇進した。大関在位は11年近くに及び、在位中の02年名古屋場所、03年春場所でも優勝した。

 07年九州場所白鵬戦で右ひじを痛めて以降は衰えが目立ち、左脇腹故障や糖尿病も追い打ちをかけた。昨年春場所は皆勤した大関でワースト記録となる13敗を喫した。昨年秋、九州場所で2場所続けて負け越して大関から陥落し、今場所は西関脇で大関に復帰できる10勝を目指していたが、初日から3連敗していた。

 通算成績は771勝528敗115休(初場所4日目の不戦敗を含む)。殊勲賞、敢闘賞各1回、技能賞3回。【大矢伸一】

大関陥落の千代大海が引退…大関在位は歴代1位
2010年1月13日(水) 9時19分 サンケイスポーツ
 大相撲の西関脇・千代大海(33)=本名・須藤龍二九重部屋=が13日、引退を表明した。

 千代大海は12日に行われた初場所3日目で魁皇に敗れて0勝3敗となった。大関陥落が決まった先場所中より春場所での大関復帰がなくなる6敗目を喫した時点での引退を明言していた。

 千代大海大分県大分市出身。平成4年九州場所初土俵。7年名古屋場所新十両、9年秋場所新入幕。突き押しで一気に前に出る相撲を武器に11年初場所で初優勝を果たし、場所後に大関に昇進した。

 大関昇進後も14年名古屋場所、15年春場所で優勝するが、いずれも次の場所は10勝に終わり綱とりに失敗した。その後も長く大関の地位を維持したが、19年九州場所を最後に優勝争いからは遠ざかる。角番は14度を数え、21年秋、九州場所と連続で負け越し大関から陥落した。

 大関在位65場所は歴代1位。通算成績は771勝524敗115休、幕内成績は597勝398敗115休。優勝3回、三賞5回、金星1個。年寄名跡佐ノ山」を取得している。

魁皇関でよかった」=千代大海しみじみ−大相撲
2010年1月13日(水) 10時31分 時事通信

 千代大海は13日朝も、まわしを締めてけいこ場に下りた。ゆっくりしこを踏み、若い衆の指導もした。30分ほどで切り上げ、報道陣に引退の決意を明かした。
 決めたのは前夜。長年しのぎを削った魁皇に敗れた一番の映像を、何度も見たという。「ひっくり返されたVTRを見て(引退は)ここしかないかなと、そう思いました」。この朝、師匠の九重親方(元横綱千代の富士)と話して決断した。
 「(まだ)実感はないです」と穏やかな顔で話したが、踏み切る上ではここで引退すれば最後の相手が魁皇になることも、頭にあったようだ。「偶然当たったんでしょうけど、最後は魁皇関でよかった」と、しみじみ話した。 

千代大海が引退会見「土俵に上がるのが怖くなった」
2010年1月13日(水) 15時11分 サンケイスポーツ
 現役引退を表明した大相撲の西関脇・千代大海(33)=本名・須藤龍二九重部屋=が13日、会見を開き、「土俵に上がるのが怖くなった」と引退を決意した心境を語った。

 千代大海は「一場所でも長くと思っていたのですが、やはり体力が追いつかず、土俵に上がっても自分の持ち味の相撲がとれなくなり、引退を考えました」と語り、「正直、土俵に上がるのが怖くなった」と苦しい心境を明かした。

 会見に同席した師匠の九重親方(元横綱千代の富士)は、千代大海について「完全燃焼したと思っています」と語った。

 千代大海は今後、年寄「佐ノ山」を襲名し、後進の指導に当たるという。

 千代大海は12日に行われた初場所3日目で魁皇に敗れて0勝3敗に。大関陥落が決まった先場所中より春場所での大関復帰がなくなる6敗目を喫した時点での引退を明言していた。

 大分県大分市出身で、平成4年九州場所初土俵大関在位65場所は歴代1位。通算成績は771勝524敗115休、幕内成績は597勝398敗115休。優勝3回、三賞5回、金星1個。

難しい大関復帰=千代大海引退−大相撲
2010年1月13日(水) 16時12分 時事通信

 現行の大関かど番制度となった1969年7月以降、大関から転落し、関脇で10勝以上すれば復帰可能な場所に出場したのは千代大海が11人(14度)目だが、復帰できたのは三重ノ海貴ノ浪武双山栃東(2度)だけ。果たせず場所中に引退したのは千代大海が初めてで、ほかはその後も現役を続けるなどした。魁傑のようにあらためて新大関と同じ条件の成績で返り咲いた例もある。 

晴れやかに完全燃焼=千代大海が引退会見−大相撲
2010年1月13日(水) 15時53分 時事通信

 現役を引退して佐ノ山親方となった元大関千代大海(33)=本名須藤龍二大分県出身、九重部屋=が13日、東京・両国国技館で記者会見し、「関脇に落ちても相撲を取らせてもらい、すっきりけじめをつけた。悔いはない」と、晴れやかな表情で心境を語った。
 決断の理由を「体力が追い付かず、自分の持ち味の相撲が取れなくなった」と説明。今場所6敗したら引退と話していたが、「もう土俵へ上がるのが怖くなった」と明かした。大関を歴代最長の65場所務める間も、けがなどがあり、「常に不安があった」と言う。
 「強い力士を育てられるよう師匠を支えて頑張りたい」と今後の抱負を話し、同席した師匠の九重親方(元横綱千代の富士)は「完全燃焼したと思う。大関に上がって優勝もしてくれた。よく頑張った」とねぎらった。
 断髪式は10月2日に国技館で行われる。 

千代大海引退…けいこ不足で頂点届かず
2010.1.13 11:01
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 千代大海が最後の綱とりに挑んだ2004年夏場所のころだった。師匠の九重親方(元横綱千代の富士)は、もどかしそうにつぶやいた。

 「あいつの才能が10としたら、おれは3くらいだぞ。それだけいいものをもっているのに…。もっと一生懸命やれば、結果は違ってくるんだけどな」。千代大海は当時28歳。最も脂が乗った時期にもかかわらず、けいこに打ち込まない弟子を嘆いていた。

 千代大海が頂点を極められなかったのは、けいこ不足の一言に尽きる。中学時代は空手、柔道選手として全国レベルの実績を誇り、運動神経は抜群。突き、押しで土俵際まで押し込んだ相手をもうひと腰下ろして腹を押す芸当に、現役時代は突っ張りで鳴らした錣山親方(元関脇寺尾)は「簡単に見えて、あの動きは本当に難しい。おれも何度けいこしても最後までできなかった」と、うなっていた。引き足の速さも天才的だった。

 だが、その素質を磨き切ることはできなかった。師匠の目を逃れて向かった出げいこ先で休むこともしばしば。地道な鍛錬と体のケアで今も大関を務める4歳年上の魁皇との差は、ここにある。

 また昨年までの2年間でかど番は4度。今場所は関脇に落ちても土俵に上がり、大関の地位と自らの晩節を汚したことは否めない。横綱3代目若乃花を千秋楽で本割、取り直しにもつれた優勝決定戦で連破し、大関昇進を決めたのが11年前の初場所。当時のような闘志も消えた“ツッパリ大関”が、ついに力尽きた。

千代大海・母美恵さん「17年間お疲れさま」
 「17年間お疲れさまでした」。13日午前に現役引退を表明した千代大海関の地元大分市の実家では、母親の須藤美恵さん(66)が元大関をねぎらった。

 報道関係者からの電話で引退を知ったそうで「来るものが来たなと思った」と穏やかに話した。昨年11月の九州場所の後に会った際も、世間話の合間に「体がガタガタだ」と漏らすのを聞き「そろそろかな」と思っていたという。

 かど番が続いても「何とか頑張って、とにかく勝ち越せばいい」とテレビの前でいつも応援していた。歯がゆくなって電話して「わたしが行ってとってきてやろうかい」と言うこともあったという。

 美恵さんは「電話がきたら卒業おめでとうと言ってやりたい。本人もほっとしてるんじゃないかな」と笑顔で話した。