泣き虫しょったんの奇跡 完全版 サラリーマンから将棋のプロへ

泣き虫しょったんの奇跡 完全版 サラリーマンから将棋のプロへ (講談社文庫)

瀬川晶司 棋士番号259

タイトル挑戦なし 順位戦最高位C級2組

 

2005年に特例により会社員から棋士になった棋士ということで当時ニュースになった。

 

この本は彼の自伝。生い立ちから、将棋との出会い。小学校の恩師や近所に住んでいた同級生のライバルについてなど。

そして奨励会入会後から年齢制限で退会し、その後大学に入ってアマチュアの将棋大会に出てアマ名人になる。

運よく、アマチュアのトップがプロの棋戦にも参加できるようになっており、そこで瀬川さんはプロ相手に7割を超す勝率をあげる。

それをきっかけに特例でプロ入りをするという支援者の運動もあり、プロ入り編入試験を受けて合格し、プロになると、こういう話である。

 

瀬川さん中学生のときに全国大会で優勝するのだが、大会に出てたのは後にタイトルをとる深浦さんや屋敷さんで、中学生時点では、瀬川さんは彼らより上の成績だったのである。正直、プロ入り後パッとしない瀬川さんなので、そこまで強いとは思っていなかった。

同級生のライバルの存在が大きかったのではないか。しかし、その彼は別の大会でも準優勝どまりだったため奨励会には進まなかった。本人たちも思っているが、奨励会にも2人で入り競い合っていれば、瀬川さんはあっさりプロ入りしてたかもしれない。才能はもとより、環境という運にも左右されるものだ。

21歳で三段になるが、三段リーグではこれといった上がり目もないままに年齢制限で退会。奨励会時代についてはプロ棋士が書くことはあっても、年齢制限で退会することになった人が書いた記録というのは貴重だろう。26歳で学歴も職歴もないまま社会に出ることになる。

奨励会時代に下宿はたまり場になって、後にプロ入りすることになる田村さんや近藤さんがなどが来ていたそうだ。はっきり書いてないが、けっこう遊びにもはまってしまってたのかもしれない。

そして、奨励会を抜けるかどうかは紙一重なのだなと改めて思う。勝又さんなんて、上がれなくてもまったく不思議ではなかった。他に、本に出てくる中座さんや近藤さんもかなり苦労した人だがプロになった。プロにならなかった人にもその人のドラマがあるのだろう。

 

瀬川さんは退会後もすぐに大学に入ったりアルバイトもやったりと、人との接点があったことがよかった。家族にも恵まれていたと思われる。