伊藤能 棋士番号205
タイトル挑戦なし 順位戦最高位C級2組
プロ入りは当時の年齢制限ぎりぎりの30歳で、その昇段も奇跡的だった。ただ、やっぱり力はなかったようでプロ入り後の成績はさえず。
1996年版『将棋年鑑』のアンケートが記憶に残っている。
「コンピューターがプロ棋士を負かす日は?」という問いがあった。
まだコンピューターの強さはプロにはほど遠かったため、こないと答える棋士も多かった一方、10年後とかとかかなり近い答えを出した棋士もいる。
個人的には伊藤能さんの回答に100点をあげたい。本が手元にないが、「当分こない(でも僕くらいのレベルだったらそう遠くないかも)」とかそんな答えだったはずだ。
この本は師匠の米長語録。
伊藤さんは半内弟子で、米長さんの自宅隣のアパートに住んでいた。家賃などは米長負担である。やがて、寝坊するようになり、米長宅から先崎や林葉直子がご飯だよと呼びに来る。怠慢な生活である。
そのせいか、三段まできたものの、なかなかプロ入りできず年齢制限がせまってくるが、あまり将棋に気が入らない。そのとき師匠の米長が伊藤さんに言った言葉「○○○○を見るときのような目で将棋盤を見ろ!」伊藤さんにとって一番の名言だそうだ。
プロ入り後は米長さんは「俺が伊藤能を四段にした」とことあるごとに言っていたらしい。最初の弟子のうえ苦労したので、格別嬉しかったのだろう。
会長になった後のふるまいとか桐谷さんとのこととかあって米長さんはあまり好きではなかったのだが、弟子への思いは確かだったようだ。
米長さんは2012年に亡くなられた。そして、この本は2014年に発行され、伊藤能さんは2016年に54歳で亡くなった。
米長さんが主役の本だが、伊藤さんがプロ入りを決めた盤面も載っている。
唯一の著作のこの本が伊藤さんの将棋人生の集大成的な作品だったのかもしれない。