人生の棋譜 この一局

人生の棋譜 この一局(新潮文庫)

棋士番号95

30歳で奨励会を抜けた人。これを契機に奨励会に年齢制限が設けられた。河口でさえ30歳で抜けたのだからと29歳が制限になったという噂さえ流れたという。

 

当然、棋士になってからも実績はない。

ただ、この人は観戦記などを書いてそちらのほうで有名だ。

この人自体の自伝的な本はないのかな。そちらを読んでみたいが。

 

 

この本は1989年度から1993年度の将棋界についてのエッセイやタイトル戦のうごきなどについて、将棋世界に連載されたものだ。単に結果だけでなく、将棋会館での出来事や棋士の検討でのやりとりが興味深い。

 

羽生はまだタイトルはとっていないものの、ちょうど先日テレビで放送された1988年度のNHK杯で優勝するなど、すでに別格と見られていた。今の藤井聡太さんみたいな感じだろう。

他に、頻繁に名前が出てくるのは、屋敷九段。1989年度に最年少タイトル獲得である。最年少タイトル挑戦は藤井聡太さんに抜かれたが、タイトル獲得の方はどうか。

実は、屋敷さん2回連続でタイトル挑戦している。1度目は中原誠棋聖に負けたものの次期のトーナメントも勝ち上がって中原さんにリターンマッチ、そしてタイトルを奪取した。

それだけ確かな力はあったのだが、その後は、羽生世代が台頭したせいか、振るわなくなってしまったのはなぜだろう。

 

他、佐藤康光さん、森内俊之さん、郷田真隆さん、森下卓さん、村山聖さん、先崎学さん、行方尚史さんなどが若手として出てくる。

しかし、同世代でほとんど名前が出てこなかったのが丸山忠久さんと藤井猛さんだ。あとがきにもあるように、若手時代はあまり注目されていなかったわけで、そのあたりを今見ると面白い。

 

この頃は谷川さんが第一人者的でありながらも、下からは羽生があらわれ、上も中原や米長が名人戦では力を発揮、同世代でも南や福崎がタイトルをとるなど、圧倒的な力を見せつけると行ったところにはいたらなかった。

 

棋士の多彩性という点では面白い時代だったろう。期待の若手がたくさん出てくるなか、大山さんは癌になりながらもA級にいすわり、名人挑戦の可能性さえ残した。

他、加藤、中原、米長に加え、内藤や有吉もA級にいた。ただ、彼らベテラン勢の勝率の低さは本書で苦言を呈されていたが。

個人的には石田和雄さんが竜王戦挑戦者決定戦にまで行ったところが応援したくなったね。

 

著者がたびたび指摘しているが、将棋会館での検討室では、棋士は序列を気にする。自らの対局だけでなく、他の棋士の対局を検討しているときでも、弱いと思われることは圧倒的に不利になるそうだ。タイトル戦などでも、どちらのほうが強いというような雰囲気があり、それが結果に影響するようである。

 

著者は、タイトル戦で、こちらのほうが勝つなどという無責任な予想をしていて、それには正直なところ反感をもつのだが、そうはいっても棋士の世界のなかではそういった評価はたしかにあったのだろう。記録にはあらわれない時代の空気が残っているのは貴重だ。