ティファニーで朝食を

ティファニーで朝食を (新潮文庫)
1950年代後半のアメリカの小説。村上春樹が新訳を出した。なんか村上春樹の小説みたいな文体。古い訳もこんな感じだったのだろうか。


ヒロインのホリー・ゴライトリーは文学的な表現を使えば奔放な女。今の言葉で言えばビッチである。
ヒロインをビッチに描いたというところが新味ということは、アメリカでも1950年代ではビッチはまだまだ身近な存在ではなかったということなのだろう。しかし、これがヒットしたということはアメリカ人にとっては、このキャラは魅力的だということだ。
たいして日本はどうか。キャラ萌え全盛の日本なのに、いまだにイノセント・ビッチというキャラは受け入れられないでいる。繊細な日本男性にとっては、ビッチを飼いならすのは困難ということか。あるいは、日本には魅力的なビッチが少ないのかもしれない。実際には出会い系を使っている高校生や、かわいい風俗嬢など、それに近い人はたくさんいそうなのに。しかし、彼女達はビッチではあっても計算高そうだ。
日米の違い。それはビッチを受け入れられる男の度量の違いなのか、あるいはビッチにイノセントが足りない女側の問題なのか、大いなる問題である。