夢見る頃を過ぎても―中島梓の文芸時評

夢見る頃を過ぎても―中島梓の文芸時評 (ちくま文庫)
今年亡くなった栗本薫さんの文学評論。栗本さん、けっこう昔に癌にかかってて、闘病記みたいな本も出してたようだ。なんとしてもグインサーガは完結させてほしかった。


さて、この本の連載は1994年〜1995年である。著者は、文学の衰退について論じていたりもするのだが、言い方をかえるならば、この頃はまだ日本文学の衰退とかいうことをテーマに作家が評論していた時代だといえる。それから10年経って、たくさん若い作家が出てきたけど文学はけっしてメジャーな位置に返り咲いたわけではない。しかし、文学の衰退など誰も問題にしなくなった。文学が衰退して誰も何も困らないということだ。それでも文学評論は面白い。


以下、適当に抜粋。
吉本ばななの小説は結局「終わらない夏休み」の話なのだ。
現実感のないことだけが現代においては現実感を形成している


荒川洋二が慨嘆するのは、まさしくこのこと−「それでは大江健三郎はこれだけ長い間、あれだけえらそうな高邁な文学を書いているように思わせて、結局その源泉はすべて『障害者の父親になってしまった』困惑と悲嘆にしかすぎなかったのか」ということだったのだと思う。



現代を象徴する人々は自ら記号であることにおいて象徴性を獲得し、自ら記号化されることによって高価な商品となっている。