恋と萌の対立

恋愛について語りたいと思う。言っておくと僕は俗にいうもてない男だ。だから僕が恋愛を語るのは不適格である、おそらく秋元康オタキング以上に。このことを僕を知らない人にはまずふまえていただきたい。もてないと書いたが、本当に僕がもてなかったかどうかはわからない。ただ、好きな女性にほどうまく話しかけられなかったのは事実だ。もっとも、たいていの若い男はそうだろう。だって、若くて美人の女なんてすごいじゃないの、学校中のアイドルになっちゃうし、見ず知らずの男にだって言い寄られちゃうし、パンツ売るかAVでれば大金稼げちゃうわけだし、そこらへんの男がかなう相手じゃありません。
だから、大半の男には見向きもされないような女の人を好きになっていたら、おそらくはだいぶ違った態度を持つことができたのだと思うが、残念ながら僕が好きになった女性は男が100人いれば90人は彼女を好きになるだろうといった女性ばかりで、彼女を好きになった90人の男から僕1人が選ばれるわけないやと思うとやっぱりもじもじが続くのである。かといって彼女は、僕のような男にも拒絶や嘲笑といった態度はとらないわけであり、そんなわけで僕は彼女のことをずっと好きなままというわけだ。
そんな僕もいつのまにやら女性に自然に接することができるようになっていった。ひとつには慣れということもあるだろうが、男女の状況の変化も大きな理由だろう。ひとたび社会に出れば女性は経済力がなかったり、そして女性も歳をとっていくのでる。女性だって我が世の春を永遠に謳歌することもできないのだ。相対的に僕の価値が高まっていくといえるわけで、まあ端的にいって女性の価値が下がったことによって自身がついてきたわけである。悲しいことだけど、そんな側面は否定できない。
それでもなんでも、女性を好きになることで自分の価値ばかりを常に考えさせられたってことは、悪いことではなかったことだと思う。ま、彼女にふさわしい男になるよう自分を高めてやろうなんて考えはしなかったけどね。
さて、鑑みるに最近巷で大流行の萌えはどうか。ある人たちは、萌え〜なんておおっぴらに言っちゃって、そうとうイタイ。もちろん本人もイタイのはわかってる。でも、それはイタイ自分を演じているような部分もあるでしょう。恋は落ちるものと言うけど、萌えにはそんな制御不能の悲壮さが感じられない。自分の価値もいっさい省みない。仮に、萌えキャラに「死ね!」なんて罵倒されちゃってごらんなさい。彼らはきっと喜ぶから。そのツンツンぶりがたまらないですよね〜、なんて具合にね。恋する立場よりも、ちょっと上から見てるのだ。そのあたりの余裕の持ち方が僕にはどうも気に入らない。やっぱり愛は傷ついてこそですよ。だからね、世の青少年諸君、若いうちは萌えよりも愛に走ってくれたまえ。萌えなんて言い始めるのは、世の現実女性だれからも相手にされないと言う絶対の自信を持つか、結婚して他の女性に愛を語れなくなってからで十分だ。萌えはいつまでも待っていてくれるよ。
だから好きな女性にはもじもじする。それが正しい男のあり方さ。