スポーツ・芸能

FIFA(R)ワールドカップ ウルグアイ/イタリア/フランス/ブラジル 1930-1950

ワールドカップのdvd。おまけで名選手2名とゴールシーンベスト10を収録。 第1回大会(1930年)はウルグアイ開催。参加国は13。試合そのものの映像はほとんど残っておらず、開会の入場行進やスタジアム着工とか、その前のオリンピックの映像が続く。大…

しみけん

地下クイズ王決定戦で存在を知りました。 AVも相当数出ているのだが、私は記憶にない。やっぱり普通男優には気を払わないよね。むしろ、目立つ男優がいたらそっちのほうが問題があるといえる。 テレビがつまらないといわれている昨今である。彼のようなキワ…

高橋がなり

ソフト・オン・デマンドの社長だった人。しかし、そちらのほうはあまり知らない。 セルDVDで売り上げを伸ばしたそうなのだが、2000年代になっても私はアダルトビデオはレンタル派だったのだ。 加えて会社が得意としていた企画物も私はあまり好きではない…

加藤鷹

たぶん日本で一番有名なAV男優。テレビで男優という職業が認知されたのは、この人が最初かな。 これまで見たドキュメンタリーでの彼の昔の姿は、もっとつり目で尖った印象である。実績を積むとともに柔和になったようだ。 出演作は1万5千本を超えるというが…

太賀麻郎

1984年にデビュー。AV男優という言葉が生まれていなかった時代だ。名前が定着したという意味では初めての男優だろう。 きっかけはエロ本の募集広告を見ての申し込みである。面接に行ったらルックスの良さから担当者から本当にやるのかと驚かれたらしい。当…

代々木忠

ピンク映画から日活ロマンポルノを経て、AV監督へ。 1982年にザ・オナニーシリーズで好評を得る。AV最初期のころだが、たぶんですね、黎明期のAVはまだ技術が確立されておらず、たぶんに擬似的なものが多かったのでしょう。 そこにドキュメンタリー風…

村西とおる

「ナイスですね」のフレーズはあまりにも有名。今でも日本一有名なAV監督であろう。 この人が稼いでいたのは1980年代後半でそのころからテレビ出演していたらしく、私が見ているとしたら11pmとかトゥナイトといったところだろうけども、はっきりとした記憶…

石田純一

不倫は文化だ、との発言で有名。実際にはそういってないようだが、まあどうだっていい。 現在は東尾理子と結婚して、子育てとかテレビに出たりもしている。で、不倫どうこういったのは松原千明と結婚しつつ長谷川理恵と不倫しているとかで話題になっていると…

矢口真里

1998年にモーニング娘。の第2期メンバーとして加入。 2013年不倫が発覚し離婚。 浮気がばれるという意味の"ヤグル"という言葉が女子高生の間で流行語になったとか、しかしマスコミ先導でしょう。 彼女はデビューのころと顔というか雰囲気は変わった。デビュ…

塩谷瞬

2002年に忍風戦隊ハリケンジャーのハリケンレッドでデビュー。 特撮好きには、こちらで有名だろう。 しかし、一般人にとっては2012年の二股発覚でのみ認知される存在である。 一人は富永愛。モデルである。でかい、顔はびみょー。しかし、モデルの顔はそんな…

山路徹

ジャーナリスト。しかし、どんな仕事をしてるのか誰も知らない。 2010年不倫が発覚。 あらためて調べてみると、山路と大桃は離婚はけっこう前(2006年)に離婚していた。しかし、結婚してるときから山路と麻木の関係はあったようである。そして山路と麻木は…

ベッキー

父親がイギリス人。 ベッキーといえば、おはガール。 しかし、私はおはスタって番組を見たことがないんだ、だから彼女の初期を全然知らなかったよ。 いつのまにかバラエティで見るようになったね。それだけスタッフの受けもよかったんでしょう。 歌も出して…

1949年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 読売ジャイアンツ 85 48 1 .639 - 2位 阪急ブレーブス 69 64 3 .519 16.0 3位 大映スターズ[1] 67 65 2 .508 17.5 4位 南海ホークス 67 67 1 .500[2] 18.5 5位 中日ドラゴンズ 66 68 3 .493 19.5 6位…

1948年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 南海ホークス 87 49 4 .640 - 2位 読売ジャイアンツ 83 55 2 .601 5.0 3位 大阪タイガース 70 66 4 .515 17.0 4位 阪急ブレーブス 66 68 6 .493 20.0 5位 急映フライヤーズ 59 70 11 .457 24.5 6位 …

黒沢俊夫

巨人の永久欠番。1は王貞治、3は長嶋茂雄、じゃあ4は。答えは黒沢俊夫です。 彼は生え抜きではなく移籍で巨人に来た選手。シーズン中に病死したということで、チームメイトが永久欠番を提案したということで、中心選手ではあったものの大きな記録を残した…

1947年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 大阪タイガース 79 37 3 .681 - 2位 中日ドラゴンズ 67 50 2 .573 12.5 3位 南海ホークス 59 55 5 .518 19.0 4位 阪急ブレーブス 58 57 4 .504 20.5 5位 読売ジャイアンツ 56 59 4 .487 22.5 6位 東…

1946年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 近畿グレートリング 65 38 2 .631 - 2位 東京巨人軍 64 39 2 .621 1.0 3位 大阪タイガース 59 46 0 .562 7.0 4位 阪急軍 51 52 2 .495 14.0 5位 セネタース 47 58 0 .448 19.0 6位 ゴールドスター 43…

1944年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 阪神軍 27 6 2 .818 - 2位 東京巨人軍 19 14 2 .576 8.0 3位 阪急軍 19 15 1 .559 8.5 4位 産業軍 13 21 1 .382 14.5 5位 朝日軍 12 22 1 .353 15.5 6位 近畿日本軍 11 23 1 .324 16.5 この年は6チ…

呉昌征

台湾の人。 1942年、1943年と首位打者。 当時は品質の粗悪な飛ばないボールを使っていたため、首位打者ではあるものの打率はそれぞれ.286、.300と低かった(1942年の打率.286での首位打者は史上最低記録)。wikipediaより。 1944年から阪神へ。そちらではピ…

1943年のプロ野球

ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 東京巨人軍 54 27 3 .667 - 2位 名古屋軍 48 29 7 .623 4.0 3位 阪神軍 41 36 7 .532 11.0 朝日軍 41 36 7 .532 11.0 5位 西鉄軍 39 37 8 .513 12.5 6位 大和軍 35 43 6 .449 17.5 7位 阪急軍 31 51 2…

スタルヒン

スタルヒン。名前は聞いたことあったがロシア生まれとは思わなかった。てっきりアメリカだと思ってた。ロシア革命で逃れてきたということだ。 42勝はいまでも日本記録である。しかもその1939年は1チーム96試合で68試合当番であるから、おそるべし登板率、お…

1942年のプロ野球

・ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 東京巨人軍 73 27 5 .730 - 2位 大洋軍 60 39 6 .606 12.5 3位 阪神軍 52 48 5 .520 21.0 4位 阪急軍 49 50 6 .495 23.5 朝日軍 49 50 6 .495 23.5 6位 南海軍 49 56 0 .467 26.5 7位 名古屋軍 39 6…

1941年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 東京巨人軍 62 22 2 .738 - 2位 阪急軍 53 31 1 .631 9.0 3位 大洋軍 47 37 3 .560 15.0 4位 南海軍 43 41 0 .512 19.0 5位 阪神軍 41 43 0 .488 21.0 6位 名古屋軍 37 47 0 .440 25.0 7位 黒鷲軍 28…

1940年のプロ野球

●ペナントレース 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 東京巨人軍 76 28 0 .731 - 2位 阪神軍 64 37 3 .634 10.5 3位 阪急軍 61 38 5 .616 12.5 4位 翼軍 56 39 10 .589 15.5 5位 名古屋軍 58 41 5 .586 15.5 6位 黒鷲軍 46 54 4 .460 28.0 7位 名古屋金…

中島治康

日本プロ野球史上初の三冠王。 1938年秋季には打率.361、本塁打10、打点38でプロ野球史上初の三冠王となった。当時は三冠王という概念はなく、1965年に野村克也が三冠王と獲った時に1938年の記録をどう扱うか問題となった。当時は春秋を二季に分けて考えるの…

1939年のプロ野球

この年から春季・秋季というのはやめたようである。 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 東京巨人軍 66 26 4 .717 - 2位 大阪タイガース 63 30 3 .677 3.5 3位 阪急軍 58 36 2 .617 9.0 4位 東京セネタース 49 38 9 .563 14.5 5位 南海軍 40 50 6 .444 2…

景浦將

タイガースの最初の伝説的人物というと景浦。バッターとしての印象が強いが最初の頃はピッチャーをやっていてタイトルもとっている。 景浦もまた戦争の犠牲者だ。 1940年に1度目の応召。1943年に復帰、以前通りの長打力を発揮したが、守備では兵役中に過度の…

1938年のプロ野球

・春季 順位球団勝利敗戦引分勝率ゲーム差 優勝 大阪タイガース 29 6 0 .829 - 2位 東京巨人軍 24 11 0 .686 5.0 3位 阪急軍 21 13 1 .618 7.5 4位 イーグルス 18 15 2 .545 10.0 5位 東京セネタース 13 21 1 .382 15.5 6位 名古屋金鯱軍 13 22 0 .371 16.0 …

沢村栄治

東京巨人軍の選手。背番号14番は永久欠番である。 プロ入り前の日米野球で唯一アメリカ打者を押さえ込んだのが語り草になったのは、以前紹介したとおり。 プロとしての全盛期は1936年、1937年。1937年には新設されたMVPになっている。しかし、その後戦争…

1937年のプロ野球

前年までのリーグは東京巨人、大阪タイガース、名古屋軍、阪急軍、大東京軍、名古屋金鯱軍、東京セネタースの7チームだったが今年からイーグルスが加入。 さらにリーグ戦で春季56試合、秋季48〜49試合とかなり今のプロ野球に近い形が出来上がったようである…