著者:陳舜臣
殷は奴隷制で巨大化した国、絶えず奴隷と財宝を獲得するため出征を重ねており東を攻撃している間に西から周に攻撃された。
当時は奴隷は簡単に殺される存在であったのでとりたてて紂王が残虐というわけではない。当時の記録を見ると紂王は熱心に祭祀を行っていた。
殷の一時期のほうが青銅器の質がよい。その後、周になって落ちる。
周は辺境に落ち延びたため、奴隷は維持できず、かわりに土地を耕すと自分のものになる政策をとった。そのため、生産性が殷よりよかったし、兵の士気も違った。
殷の酒の生産量は増えて、酒のせいで滅びたという説さえある。
殷は奴隷制で祭祀を重んじ戦争なども占いによって決めた。周は封建制で占いを無視して戦争をした、殷ほど奴隷を殺さなかった。現代中国の文明の源流は周からはじまっており殷からは影響を受けていないという人もいる。