朝、自然に目が覚めた。アラーム時間を30分遅れにしたせいだ。
アラームより10分ほど前。以前だったら、既にアラームの音で起こされていた。
この30分が大きかったんだねえ。


飲みに行った。
能年とは違う店で、気に入った店員がいたのだ。大学2年生。
その店は外から中が見えるので覗いてみたらその店員とは違う店員がいた。中年の人だ。
そういってもなんだか別の店に行くわけにも行かず入った。
でも、やっぱり入って後悔した。4000円くらいした。


仕方なく2店目におばちゃんの店にはいったらやっぱりいつもの雰囲気で3000円近くした。



さて、水曜日は飲んでもいいけど水曜日は、アウトプットの日ということでこれまで中途半端になっていた旅行記や本の感想などを書く日にしよう。


帰り能年の店見たら、能年の自転車なかったから明日は能年いるだろう。店に行ってみよう。


と思っていたら、ゲームやったりして時間がなくなってアウトプットはまた明日だ。
柔軟性も必要だ。

稀勢の里のこった日記 coda

昼休みにスマホでニュースを見たら稀勢の里が引退を決断したということだ。


これでよかったと思う。

稀勢の里、引退! 田子ノ浦親方が明かす 横綱ワースト8連敗、地元後援者に勇姿見せられず
1/16(水) 8:46配信 スポニチアネックス
稀勢の里、引退! 田子ノ浦親方が明かす 横綱ワースト8連敗、地元後援者に勇姿見せられず
横綱稀勢の里
 横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)がついに現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。進退を懸けて初場所に臨んでいた稀勢の里だが、初日から3連敗。昨年秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗となり、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱では貴乃花を抜いてワースト記録を更新したこともあり、その去就に注目が集まっていた。

【写真】引退会見で涙を流す稀勢の里

 前夜は東京都江戸川区田子ノ浦部屋へ姿を見せ、約1時間半の滞在後に部屋を後にした。師匠の田子ノ浦親方と何らかの話し合いをもったもようだが、進退の決断や4日目の出場について態度を明かさず、関係者によると結論を持ち越していた。

 地元・茨城県牛久市の「稀勢の里郷土後援会」はきょう4日目にバス2台の応援ツアーを実施。95人が両国国技館に駆けつける予定になっていたが、地元の後援者に最後の勇姿を届けることはできなかった。

 稀勢の里は17年初場所で新入幕から73場所目にして初優勝。場所後に第72代横綱に昇進した。日本出身横綱の誕生は1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとあって、日本中が「稀勢の里フィーバー」に沸いた。

 続く春場所では13日目の横綱日馬富士戦で左肩上腕付近を負傷しながら、千秋楽で大関照ノ富士を本割で破り13勝2敗に。優勝決定戦では土俵際での執念の右小手投げで再び照ノ富士を下した。新横綱としては95年初場所貴乃花以来、22年ぶり8人目の優勝。初場所から2場所連続優勝を飾ったことで「稀勢の里時代」の到来を予感させた。

 ところが、強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかった。3場所連続優勝を狙った翌夏場所は、春場所で痛めた患部を悪化させ11日目から途中休場した。その後も故障が完治せず18年名古屋場所まで8場所連続休場。年6場所となった58年以降では貴乃花の7場所連続を抜いて横綱の最長連続休場を更新した。

 進退を懸けて臨んだ同年秋場所は10勝5敗。復調を感じさせ引退危機を脱したかに見えたが、続く九州場所では初日から4連敗。横綱としては87年ぶりの屈辱を味わい、今場所は再び進退を懸けて臨んでいた。

 看板力士として抜群の人気を誇り、相撲界を支えてきた和製横綱だが、ケガに泣き横綱在位は12場所。在位15場所だった入門時の師匠・鳴戸親方(元横綱隆の里)同様、横綱の地位を長く務めることはできなかった。

稀勢の里が引退表明 3連敗で決断…田子ノ浦親方「昨日の夜、引退しますと話がありました…信じられない」
1/16(水) 8:47配信 スポーツ報知
稀勢の里が引退表明 3連敗で決断…田子ノ浦親方「昨日の夜、引退しますと話がありました…信じられない」
3連敗に元気なく国技館を去る稀勢の里
 第72代横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=が16日、現役引退を表明した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)がこの日、東京・江戸川区田子ノ浦部屋で取材に応じ、昨晩、「(稀勢の里)本人から引退させて下さい、引退します」と伝えられたことを明かした。

【写真】貴景勝の母が「ありえない美人」と話題沸騰

 前の日の夜、師匠と2人きりで話し合いの場を持ち30分ほど話をした。引退の理由について、稀勢の里は深くは語らなかったというが、「思っているような相撲が取れていない。横綱は結果を出さないといけないけど、出せていないというのが現実」と師匠は語った。また「そう簡単に決断したことではないと思う」と心境を思いやった。

 話し合いをする際の横綱の表情は「いたっていつも通りでしたけど、色んな思いがあるなという感じでした」と説明。「そうか。ごくろうさん。それ以上は自分は声をかけられなかった」と沈痛な面持ちで話した。引退届けはこれから提出する予定で、八角理事長(元横綱北勝海)にはすでに報告をすませているという。

 田子ノ浦親方は「結果を出せるなら、本人にももっとやって欲しかった。でも稀勢の里は我慢強いですから。そういう力士が引退を話しすると言うことはそれなりの覚悟と気持ちがあったと思う」と弟子の気持ちを代弁した。

 稀勢の里は2017年初場所で14勝1敗の成績で初優勝し、1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとなる日本出身の横綱に昇進。同年春場所では13日目に左腕付け根を負傷しながら出場を続け、決定戦の末に先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱隆の里)と同じ新横綱優勝を飾った。新横綱の優勝は15日制が定着した49年夏場所以降では95年初場所貴乃花(現親方)以来22年ぶりの快挙だった。

 しかし、けがを押しての出場の代償は大きく、年6場所制(1958年)以降の横綱ワーストとなる8場所連続休場をするなど、地位にふさわしい力量を示せずにいた。昨年11月の九州場所で、横綱としては87年ぶりに初日から4連敗して途中休場。場所後に行われた横綱審議委員会では、初めて「激励」決議が出された。

 九州の休場を決断する際には「このままでは終われない。もう一度チャンスを下さい」と師匠に直談判。不退転の覚悟で初場所に臨んでいたが、無念の3連敗を喫し、昨年秋場所から不戦敗を除き、3場所にわたって8連敗。貴乃花(99年)の横綱ワースト記録を更新。金星配給も通算18個目の不名誉な記録となった。「本人は一生懸命稽古もやってましたし、出来る事はやって皆さんの前に結果を出せなかったというのは気持ちの面もあったのではないか」と師匠は述べた。

 最後の相撲となった15日は、くしくも父・貞彦さんの73歳の誕生日。日本中から愛された横綱が、ついに土俵を降りることになった。最後に気持ちを問われた親方は「師匠としてはふさわしくないと思うけど、まだ現実を見てないというか、まだそこまで考えられない。考える余裕がない。信じられない」と最後まで視線を落としていた。

 ◆稀勢の里 寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。茨城・牛久市出身、32歳。188センチ、177キロ。02年春場所鳴戸部屋から初土俵。17歳9か月の新十両(04年夏場所)、18歳3か月の新入幕(同九州場所)はいずれも貴乃花に次ぐ史上2位の若さ。10年九州場所白鵬の連勝を「63」で止めた。11年九州場所後に大関昇進。13年12月に部屋の名称が田子ノ浦に変更。優勝2回。殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。得意は左四つ、寄り、突き、押し。

稀勢の里が引退!横綱ワースト8連敗…ついに決断
1/16(水) 8:48配信 日刊スポーツ
稀勢の里が引退!横綱ワースト8連敗…ついに決断
3連敗の稀勢の里は報道陣の前で腕を組み沈黙を貫く(2019年1月15日撮影)
大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が初場所4日目の16日、東京・江戸川区田子ノ浦部屋で発表した。同日午後に都内で記者会見を開く予定。今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後身の指導にあたる。

【写真】打ち出し後に部屋に戻った稀勢の里は詰め掛けた大勢の報道陣を前に車で引き揚げた

進退を懸けて初場所に臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。

稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。15歳で鳴戸部屋に入門。得意は突き、押し、左四つ。三賞は殊勲5回、敢闘3回、技能1回。金星3個。通算800勝495敗98休。家族は両親と姉。187センチ、175キロ。

横綱稀勢の里が引退へ 初場所、初日から3連敗で決断
1/16(水) 8:49配信 朝日新聞デジタル
横綱稀勢の里が引退へ 初場所、初日から3連敗で決断
栃煌山に敗れ初場所3連敗となった稀勢の里=2019年1月15日、東京・両国の国技館、恵原弘太郎撮影
 大相撲の東横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が現役引退を決断した。進退をかけた初場所で初日から3連敗し、一夜明けた16日、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。2年前、19年ぶりに誕生した日本出身横綱として期待されたが、けがから復活できないまま土俵を去る。

【写真】早朝から田子ノ浦部屋に集まった報道関係者=2019年1月16日午前7時30分、東京都江戸川区、西岡臣撮影

 不成績が続いた稀勢の里に対しては昨年11月の九州場所後、横綱審議委員会が事実上の最後通告となる「激励」を決議。進退がかかった今場所、初日から3連敗したことで、15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱として最悪の9連敗(休場、不戦敗を含む)を記録していた。

 稀勢の里大関時代の2017年の初場所で初優勝。場所後に、日本出身力士では19年ぶりとなる横綱に昇進した。第72代横綱としてデビューした春場所は、初黒星を喫した13日目に左胸と左腕を大けがをしたが、千秋楽に本割、優勝決定戦で照ノ富士に連勝して逆転で賜杯(しはい)を抱いた。

横綱稀勢の里が引退 進退場所で3連敗、午後会見
1/16(水) 8:49配信 共同通信
横綱稀勢の里が引退 進退場所で3連敗、午後会見
横綱稀勢の里
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛茨城県出身、田子ノ浦部屋=が16日、現役を引退することが決まった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。進退を懸けて臨んだ初場所で初日から3連敗と不振だった。昨年11月の九州場所横綱として87年ぶりに初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、横綱審議委員会で初の「激励」を決議されていた。

 稀勢の里は16日午後、東京都墨田区両国国技館内で記者会見を開く。

 田子ノ浦親方は「稀勢の里は我慢強い。そういう力士が引退を話すのだから、覚悟があったと思う」と話した。

17年春場所横綱昇進、優勝2回/稀勢の里略歴
1/16(水) 8:50配信 日刊スポーツ
17年春場所横綱昇進、優勝2回/稀勢の里略歴
稀勢の里
大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が初場所4日目の16日、東京・江戸川区田子ノ浦部屋で発表した。

【写真】 勝率の低い横綱5傑

稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。

02年春場所初土俵。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所大関昇進横綱昇進は17年春場所。得意は突き、寄り、左四つ。幕内優勝2回、殊勲賞5回、敢闘賞3回。幕内戦歴714勝453敗97休(85場所)。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。

横綱稀勢の里が引退=在位12場所の短命―大相撲
1/16(水) 8:51配信 時事通信
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛茨城県出身、田子ノ浦部屋=の引退が16日、決まった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。横綱在位はわずか12場所の短命で、出場66回、36勝に終わった。稀勢の里の引退で日本出身横綱は2年で不在となる。

 初場所に進退を懸けて臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年秋場所千秋楽からは8連敗(不戦敗を除く)となり、自ら土俵を去る決断を下した。横綱昇進後は休場が続くなど低迷し、昨年九州場所後には横綱審議委員会から初めて「激励」の決議を受けて奮起を促されていた。

 稀勢の里は2017年初場所で初優勝を遂げ、場所後に72人目の横綱に昇進。日本出身横綱の誕生は1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとあって大きな注目と期待を集めた。

 続く春場所で2度目の賜杯を抱いたが、左胸などに大けがをした。この影響で翌夏場所から、年6場所制となった58年以降、横綱として最長となる8場所連続休場。昨年9月の秋場所は皆勤して10勝を挙げたものの、本来の力強い相撲を取り戻せなかった。 

横綱稀勢の里が引退 初場所3連敗で決断 師匠「本人から申し出」
1/16(水) 8:52配信 産経新聞
横綱稀勢の里が引退 初場所3連敗で決断 師匠「本人から申し出」
取り組み後、支度部屋で厳しい表情を見せる稀勢の里=15日、両国国技館(早坂洋祐撮影)
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛茨城県出身、田子ノ浦部屋=が16日、現役を引退することが決まった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。東京・両国国技館で行われている初場所に進退を懸けて出場したが、3日目の栃煌山戦に敗れて初日から3連敗となり、引退を決断した。稀勢の里は4日目に錦木戦が組まれていたが、不戦敗となる。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 16日朝、江戸川区田子ノ浦部屋で報道陣に対応した田子ノ浦親方は「昨日(15日)の取組後、本人から引退させてくださいと申し出があった。ご苦労さんと声を掛けた。全力で相撲を取っていたが、思うように取れなかった。横綱ですから、結果を出さないといけない」と、引退に至った経緯を説明した。

 稀勢の里は15歳だった平成14年春場所初土俵を踏み、17歳だった16年夏場所新十両、18歳だった同年九州場所で新入幕とスピード出世。23年九州場所後に大関へ昇進すると、初優勝を飾った29年初場所後に日本出身力士として19年ぶりの横綱昇進を果たした。

 新横綱だった翌春場所は13日目に左胸などに大ケガを負いながら強行出場し、優勝決定戦で照ノ富士を下して連覇を達成。しかし、無理が響いて翌夏場所から休場が続き、連続休場は年6場所制となった昭和33年以降の横綱として最長の8場所まで伸びた。進退を懸けて臨んだ昨年9月の秋場所を皆勤して10勝を挙げたが、途中休場した翌九州場所後には横綱審議委員会が異例の「激励」を決議していた。

 強烈な突き押しや左四つからの寄りを武器とした馬力あふれる真っ向勝負が持ち味で、大相撲ファンを魅了し続けた。通算成績は800勝496敗97休、幕内通算は714勝453敗97休で優勝2回。三賞は殊勲賞を5回、敢闘賞を3回、技能賞を1回獲得した。しかし、横綱在位12場所で皆勤は2場所にとどまり、36勝36敗97休と不本意な成績だった。

横綱稀勢の里引退 初場所3連敗、再起ならず
1/16(水) 8:54配信 毎日新聞
横綱稀勢の里引退 初場所3連敗、再起ならず
大相撲初場所栃煌山に寄り切りで敗れて初日から3連敗となり厳しい表情を見せる稀勢の里両国国技館で2019年1月15日、和田大典撮影
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋=が現役を引退することが決まった。師匠の田子ノ浦親方(元前頭・隆の鶴)が16日、「昨夜、本人から伝えられた」と明らかにした。稀勢の里は東京・両国国技館で開催中の初場所に進退を懸けて出場したが、初日から3連敗。昨年9月の秋場所千秋楽から、15日制になった1949年夏場所以降の横綱として最長の8連敗(不戦敗を除く)を喫した。16日の初場所4日目の錦木戦は不戦敗になる。

【写真特集】15年前の稀勢の里、朝げいこで汗

 稀勢の里は新横綱優勝を果たした2017年3月の春場所で左大胸筋などを痛めた。このけがが完治せず、翌夏場所から、年6場所制が定着した58年以降の横綱で最長の8場所連続で休場。9場所ぶりに皆勤した昨年秋場所は10勝を挙げたが、同年11月の九州場所横綱として87年ぶりに初日から4連敗(不戦敗を除く)して5日目から休場。場所後、横綱審議委員会から奮起を促す「激励」を史上初めて決議された。

 横綱の引退は、17年11月に傷害事件の責任を取って引退した日馬富士以来。日本出身の横綱の引退は03年初場所貴乃花以来で16年ぶり。稀勢の里年寄名跡・荒磯を取得しており、今後は親方として後進の指導に当たる見込み。

 稀勢の里は02年春場所初土俵。04年九州場所には18歳3カ月で新入幕を果たした。昭和以降では貴乃花に次ぐ2位の年少記録で、将来を嘱望された。11年九州場所後に大関に昇進。その後は好成績を残しながら優勝に届かなかったが、17年初場所大関昇進から昭和以降では最長の31場所を要して初優勝を果たした。場所後に第72代横綱に昇進。日本出身の横綱誕生は98年夏場所後の若乃花以来、19年ぶりだった。

 17年春場所では左胸などを痛めながらも、2場所連続優勝を遂げた。その後は苦しい土俵が続き、横綱在位12場所で勝ち星は36、皆勤は2場所。いずれも年6場所制後の横綱で最少だった。通算成績は800勝496敗97休。幕内成績は714勝453敗97休、優勝2回だった。【飯山太郎、真下信幸】

朝青龍 しのぎ削った稀勢の里の引退に「寂しい」 現役時代に数々の因縁
1/16(水) 9:00配信 スポニチアネックス
朝青龍 しのぎ削った稀勢の里の引退に「寂しい」 現役時代に数々の因縁
数々の因縁がある朝青龍(左)と稀勢の里
 大相撲の元横綱朝青龍ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏(38)が16日、自身のツイッターを更新。横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)の引退決断に「寂しいな」と心境をつづった。

【写真】俵に両手をつきガックリの稀勢の里

 朝青龍横綱時代に期待の若手だった稀勢の里と何度も熱戦を演じた。06年の九州場所では立ち合いで蹴たぐりを見舞い、07年の春場所は取組後に背中を蹴ったなど数々の因縁もある。

 引退後も17年初場所稀勢の里が初優勝を果たした際に「長い間ご苦労様。ついでに泣いちゃった」とツイートするなど気にかけていた朝青龍。この日放送のフジテレビ「とくダネ!」(月〜金曜前8・00)で放送されたインタビューでも「稀勢の里は特別な存在。(4日目も)絶対に出るべきだと思う、そういうエールを聞いてほしい」と呼びかけていたが、引退が発表されるとすぐに反応し、かつてのライバルを惜別した。

稀勢の里が「引退させてください」昨晩親方に話す
1/16(水) 9:01配信 日刊スポーツ
稀勢の里が「引退させてください」昨晩親方に話す
打ち出し後に部屋に戻った稀勢の里は詰め掛けた大勢の報道陣を前に車で引き揚げた(2019年1月15日撮影)
大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が初場所4日目の16日、東京・江戸川区田子ノ浦部屋で発表した。今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

【写真】笑顔を見せる稀勢の里

田子ノ浦親方は「昨日の夜に話して、本人から『引退させてください』という言葉があった。我慢強い男ですから、引退という言葉を口にしたということはそれなりの覚悟があると思いました。自分としてはまだ、現実として考えられません」と話した。

進退を懸けて初場所に臨んだ稀勢の里は、初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。

稀勢の里は15歳で鳴戸部屋に入門。本名の「萩原」で初土俵を踏み、17歳で新十両、18歳で新入幕を果たすなど、いずれも貴乃花に次ぐ史上2番目の年少記録を打ち立て、将来を有望視された。新入幕と同時に「稀勢の里」に改名。2006年名古屋場所で小結、09年春場所で関脇に昇進した。11年11月には師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)が急逝するも、直後の九州場所大関昇進を決めた。

16年初場所には初優勝を果たし、72代横綱に昇進。同年3月の春場所横綱として優勝を果たしたが、13日目に左の上腕筋と大胸筋を損傷。この大けがが力士生命を大幅に縮める要因となってしまった。

稀勢の里が引退届、親方「本人から言ってきた」
1/16(水) 9:04配信 読売新聞
稀勢の里が引退届、親方「本人から言ってきた」
横綱稀勢の里関の引退を発表する田子ノ浦親方(16日午前8時45分、東京都江戸川区で)=佐々木紀明撮影
 大相撲の横綱稀勢の里(32)(本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋)が現役を引退することが16日、決まった。同日、日本相撲協会に引退届を提出した。横綱在位はわずか12場所の短命に終わり、日本人横綱も2年で不在となった。

 稀勢の里は東京・両国国技館で開催中の初場所に進退を懸けて臨んでいたが、初日から3連敗と精彩を欠き、昨年秋場所千秋楽からの連敗も、年6場所制となった1958年以降の横綱ではワーストとなる8に及んでいた。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は16日朝、東京都江戸川区田子ノ浦部屋で報道陣の取材に応じ、「昨夜、本人から『引退させてください』と言ってきた。思ったような相撲が取れなかった。横綱ですから結果を出さないといけない」と述べた。

稀勢の里が引退へ 前夜に申し出 師匠も無念「横綱だから結果を出さないと…」
1/16(水) 9:04配信 デイリースポーツ
稀勢の里が引退へ 前夜に申し出 師匠も無念「横綱だから結果を出さないと…」
稀勢の里の引退を発表した田子ノ浦親方=東京都江戸川区田子ノ浦部屋(撮影・中田匡峻)
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛田子ノ浦部屋=が現役を引退することを16日、表明した。初場所4日目のこの日朝、都内の部屋で師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が会見して発表した。

【写真】栃煌山に敗れ、天を仰ぐ稀勢の里…引退の文字が頭をよぎったのか

 結論を問われた親方は「今日はもう出場しません。きょうで稀勢の里は引退します」と語った。

 3日目、15日の平幕栃煌山に力なく寄り切られ初日から3連敗。15日制の定着した1949年以降、横綱ワーストの9連敗(不戦敗含む)となり、打ち出し後に今場所初めて師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)と話し合い、決断した。

 前夜は30分程度の会談で横綱から「引退させて下さい、引退します」と申し出。親方は「そうか、ご苦労さん」とねぎらった。「それ以上の言葉はかけられなかった」と親方も無念の気持ち。横綱の表情も「いつも通りだった」という。

 引退理由は「見ていても一生懸命。思うような相撲が取れていないのが現実。横綱だから結果を出さないと。結果に結びつかなかった」と代弁した。

 大勢のファンが復活を期待したが応えられず。「結果を出せるならもっとファンの方も私もやってほしいと思うけど。稀勢の里は我慢強い力士。引退というのは覚悟があった。それを思えばもっと続けてとはならなかった」。限界まで戦い、力尽きた。

 現役時代も師弟でも間近で過ごしてきた。「話はうまい方ではないけど一生懸命、真面目。一番は素直な男」と人柄を表する。横綱昇進後の2年は絶頂もどん底も味わった。「(横綱昇進は)うれしい面はあったけど本人はすごい格闘していた。あっという間だった」と目を潤ませた。

 17年初場所で悲願の初優勝を果たし19年ぶり日本出身横綱の誕生で日本中が空前の“稀勢の里フィーバー”に沸いた。相撲人気復活の立役者は新横綱優勝を果たした同年春場所で左上腕部などに重症を負い翌夏場所から8場所連続で休場した。ボロボロになり17年に及ぶ土俵人生に幕を下ろした。今後は親方として後進の指導に当たる。年寄株「荒磯」を取得している。

稀勢の里 昨夜、田子ノ浦親方に「引退させてください」 思うような相撲取れず決断 4日目は出場せず
1/16(水) 9:07配信 スポニチアネックス
稀勢の里 昨夜、田子ノ浦親方に「引退させてください」 思うような相撲取れず決断 4日目は出場せず
栃煌山(右)に寄り切りで敗れた稀勢の里(撮影・島崎忠彦)
 横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)がついに現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。進退を懸けて初場所に臨んでいた稀勢の里だが、初日から3連敗。昨年秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗となり、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱では貴乃花を抜いてワースト記録を更新していた。

 田子ノ浦親方は「(初場所4日目は)出場しません。今日で稀勢の里は引退します」と発表。「本人から昨日話を聞きまして、本人が決めました」とし、「理由というのは深くは語っていないですけど、思ったような相撲が取れていないということ。全力では取っていましたけど」と稀勢の里とのやりとりを明かした。稀勢の里の「引退させてください」という言葉には「ごくろうさん」と答えたという。今後の身の振り方については「まだ話していない」とした。

 看板力士として抜群の人気を誇り、相撲界を支えてきた和製横綱だが、ケガに泣き横綱在位は12場所。在位15場所だった入門時の師匠・鳴戸親方(元横綱隆の里)同様、横綱の地位を長く務めることはできなかった。引退の決断の時期については「本人も思うところあったと思いますし、そう簡単に決断したわけではないと思う」と説明した。

稀勢の里は「平常心に見えた」 親方に語った引退の決断
1/16(水) 9:16配信 朝日新聞デジタル
稀勢の里は「平常心に見えた」 親方に語った引退の決断
稀勢の里の引退について、言葉を詰まらせる田子ノ浦親方=2019年1月16日午前8時47分、東京都江戸川区、西岡臣撮影
 大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断。

 初場所4日目の16日朝、報道陣の取材に応じた師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は「思ったような相撲が取れてない。そう簡単に決断したことではない。昨日(15日)の遅い時間に(決断した)。本人から『引退させてください』という話があった。いたっていつもどおりの平常心であるように見えた。自分からは『ごくろうさん』と言った」と話した。

【写真】稀勢の里に「続けて」とは言えなくて…。愛弟子の引退について記者の質問に答える田子ノ浦親方

稀勢の里、今後は荒磯親方として高安ら後進を指導
1/16(水) 9:42配信 日刊スポーツ
稀勢の里、今後は荒磯親方として高安ら後進を指導
稀勢の里
大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が初場所4日目の16日、現役を引退した。

4日目の錦木戦は、すでに取組が組まれていたため、不戦敗扱いになる。錦木は不戦勝のため、金星にはならない。これにより、稀勢の里の通算成績は800勝495敗98休になる。

【写真】笑顔を見せる稀勢の里

稀勢の里は今後、引退届を日本相撲協会に提出する。すでに年寄「荒磯」の名跡を取得しているため、今後は荒磯親方として大関高安ら後進の指導にあたる。まずは日本相撲協会の年寄資格審査委員会で承認された後、理事会の承認をへて、正式に荒磯襲名が決まる。状況が整い次第、本人が記者会見を開く見通しだ。

断髪式を含む引退相撲は、国技館で行うことが確実。時期は今後、国技館の空き状況等をみて、日程を調整することになる。

田子ノ浦親方も無念=大相撲
1/16(水) 9:47配信 時事通信
田子ノ浦親方も無念=大相撲
厳しい表情で取材に応じる田子ノ浦親方=16日午前、東京都江戸川区
 田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は16日朝、稀勢の里から引退の申し出があったことを報道陣に明かし、「ご苦労さんと話したが、それ以上声を掛けられなかった」と無念の表情で語った。

 前夜に2人で30〜40分話し合ったという。弟子は決断の理由は語らなかったそうだが、「見ていても、思ったような相撲が取れていなかった」。もどかしい思いを吐露した。

 2017年初場所後に待望の日本出身横綱となった稀勢の里と歩んできた日々を振り返り、「今考えれば2年というのはあっという間だった。まだ現実のこととして見られない」と心の整理がついてない様子だった。

再起果たせぬ稀勢関の引退惜しむ 地元・茨城
1/16(水) 10:06配信 共同通信
再起果たせぬ稀勢関の引退惜しむ 地元・茨城
2017年1月、横綱昇進の伝達式を終え、弟弟子の高安(手前)らに担がれポーズをとる稀勢の里。左端は母裕美子さん、右端は父貞彦さん=東京都内のホテル
 待望の日本出身横綱を出した地元として、稀勢の里関に期待を寄せ続けてきた茨城県では16日、再起を果たせぬままの引退にねぎらいと惜しむ声が上がった。稀勢の里関の父親萩原貞彦さん(73)は電話取材に「(引退の話は)聞いている。なんとも言えない」と言葉少なだった。

 テレビの速報で引退を知り、「ただただ残念です」と落胆したのは地元後援会の石渡昇さん(67)。「ファンを大切にし、相撲道を追い求める姿は素晴らしかった」と話した。この日は会の仲間と東京・両国国技館に駆け付けて苦境続きの初場所を応援する予定にしていたが、最後の雄姿を見ることもかなわなかった。

稀勢の里がつくった負の遺産 失墜した横綱の権威
1/16(水) 10:09配信 産経新聞
稀勢の里がつくった負の遺産 失墜した横綱の権威
大相撲一月場所3日目 栃煌山に寄り切りで敗れた稀勢の里=15日、両国国技館(撮影・今野顕)
 19年ぶりの和製横綱となった稀勢の里が、満員御礼の続く空前の相撲人気を呼び込んだ功労者であることに疑問の余地はない。一方、往生際の悪さを感じさせたここ数場所の土俵が、日本人が抱く横綱像を根底から揺るがしてしまったのもまた事実だ。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 横綱として残した負の記録はあまたある。平成29年夏場所からの8場所連続休場は年6場所制で、30年九州場所の初日からの不戦敗をのぞく4連敗は1場所15日制でワースト。30年秋場所千秋楽から今場所にかけて続いた土俵に上がっての8連敗も1場所15日制でワーストとなった。

 横綱在位12場所で皆勤はわずか2場所にとどまった。横綱としての通算成績は36勝36敗97休。記録から歴代横綱の在りし日に思いをはせるのは相撲の楽しみの一つだが、後世のファンは横綱稀勢の里の成績に目を疑うことだろう。

 横綱が想起させる「常勝」や「孤高」といったイメージは日本の宝といっていい。スポーツ界に限らず、横綱と称されるのが各分野の頂点に立つ存在であることは、日本人には説明するまでもない。歴代横綱の血のにじむような努力のたまものだ。

 勝てなければ土俵を去る潔さは、ぱっと咲いては散る桜の花と同様、日本人の琴線を揺さぶってきた。和製横綱として重圧を一手に引き受けてきた稀勢の里が現役を退いた相撲界は、横綱の権威回復という重い課題を突き付けられている。(奥山次郎)

朝青龍氏「寂しいな」稀勢の里引退に吐露
1/16(水) 10:10配信 スポーツ報知
朝青龍氏「寂しいな」稀勢の里引退に吐露
朝青龍
 元横綱朝青龍氏(38)が16日、自身のツイッターを更新。現役引退を表明した第72代横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=への思いをつづった。

 朝青龍氏は稀勢の里の引退の一報を受けると2度ツイート。最初に「稀勢の里引退」とつぶやくと、続けて「寂しいな」としのぎをけずった戦友の引退を惜しんだ。

田子ノ浦親方、稀勢から引退の申し出に「『ご苦労さん』それ以上は続かなかった」
1/16(水) 10:11配信 サンケイスポーツ
田子ノ浦親方、稀勢から引退の申し出に「『ご苦労さん』それ以上は続かなかった」
報道陣に稀勢の里の引退を伝える田子ノ浦親方=東京・江戸川区(撮影・佐藤徳昭)
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦部屋=が大相撲初場所4日目の16日、現役を引退することが決まった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が同日朝、東京・江戸川区田子ノ浦部屋前で対応し、明らかにした。

 同親方によれば「稀勢の里は引退する。本人から話があり、本人が決めた。理由は、深くは語っていない。思ったような相撲が取れていないのが現実。横綱としては結果を出さないといけないのに、結果を出せなかった」とした。

 昨年11月の九州場所横綱として87年ぶりに初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、場所後の横綱審議委員会では不祥事以外では初の「激励」を決議。奮起を促された。

 進退が懸かった今場所も初日から3連敗と不振で、昨年9月の秋場所千秋楽から3場所をまたぎ8連敗(不戦敗を除く)。1場所15日制が定着した昭和24年以降では貴乃花を抜いて横綱の単独ワースト記録となった。

 横綱在位12場所は昭和以降10番目の短さ。国内出身の最高位が不在となる。

 稀勢の里は3敗目を喫した3日目の15日夜、打ち出し後に部屋に師匠を訪ね、約1時間半話し合っていた。そこで、横綱から「引退します。引退させてください」と申し出があったという。田子ノ浦親方によれば「(表情は)いつも通り。平常心であるようには見えた。(自分は)『ご苦労さん』と。それ以上は続かなかった」と引退を決断した。「稀勢の里は我慢強い。引退を話すということは、それなりの覚悟、気持ちがあったのだろう。そのことを考えたら、続けてほしいとはいえない」。

 稀勢の里は平成14年春場所初土俵。馬力を生かした攻めを武器に、貴乃花に次いで史上2番目に若い17歳9カ月で新十両に昇進するなど、スピード出世を果たした。その後は足踏みし、11年九州場所後に大関昇進。17年初場所で初優勝し、日本出身で19年ぶりの新横綱となった。

 続く春場所で左上腕などを痛めながら強行出場し、劇的に2度目の優勝。だが、けがの影響が残って故障が相次ぎ、力強さは戻らなかった。

稀勢の里、怪我に泣いた短命横綱 在位12場所、勝率わずか5割…不本意なまま力尽く
1/16(水) 10:11配信 デイリースポーツ
稀勢の里、怪我に泣いた短命横綱 在位12場所、勝率わずか5割…不本意なまま力尽く
栃煌山に敗れ3連敗を喫した稀勢の里=15日
 進退を懸けて大相撲初場所に臨んでいた横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=が4日目の16日、現役引退を表明した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が都内の部屋で対応。初日から3連敗を喫した15日夜に話し合い決断したことを発表した。

【写真】横綱昇進の伝達式後、高安らに担がれポーズをとる稀勢の里

 横綱としては不本意なまま力尽きた。在位12場所は昭和以降、10位タイの短命。横綱で8場所連続休場は三代目西ノ海に並び昭和以降1位。横綱休場率・818(初場所前まで)は年6場所制定着の58年以降、ダントツの高さで三代目若乃花の・500を大きく引き離す。

 4日目の錦木戦が不戦敗となることで横綱在位中の勝敗は36勝36敗。横綱勝率・500も最も低い。

 金星は12場所で計18個を配給。17年九州場所では01年秋場所武蔵丸に並びワーストタイ1場所5個を配給。昨年初場所は30年10月、31年春場所の宮城山以来87年ぶり2場所連続で3日連続金星配給と、量産した。先場所も2日目から3日連続、今場所も2、3日目と金星を配給した。

 大関としては後世に残る成績だ。大関31場所で2桁勝利は24度を誇りカド番はわずか1度。332勝133敗、勝率・714。優勝次点は12度(関脇時代1度含む)、優勝は1度。横綱昇進までは休場も14年初場所にたった1日という鉄人ぶりだった。16年は69勝を挙げ優勝なしで初の年間最多勝を獲得した。横綱級の強さを誇った大関横綱では大成しなかった。

稀勢の里引退で父、萩原貞彦さん「話せる心境ではない」
1/16(水) 10:26配信 産経新聞
稀勢の里引退で父、萩原貞彦さん「話せる心境ではない」
横綱昇進を祝して高安(手前)らの組む騎馬に乗る稀勢の里。右は父・萩原貞彦さん。左は母・裕美子さん=2017年1月25日、東京都千代田区(撮影・山田俊介)
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県出身、田子ノ浦部屋=が16日、引退することを決め、父親の萩原貞彦さん(73)は産経新聞の取材に「話せる心境ではない」と言葉少なだった。

「2年はあっという間」稀勢の里引退 師匠一問一答
1/16(水) 10:27配信 日刊スポーツ
「2年はあっという間」稀勢の里引退 師匠一問一答
稀勢の里の引退を発表する田子ノ浦親方(撮影・鈴木正人
大相撲初場所で初日から3連敗を喫した横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、4日目の16日、引退することが決まった。都内の部屋の前で、師匠の田子ノ浦親方(42=元前頭隆の鶴)が明かした。田子ノ浦親方の一問一答は以下の通り。

【写真】笑顔を見せる稀勢の里

−3連敗を受けて何か結論は出したのか

田子ノ浦親方(以下、親方)今日はもう、出場しません。稀勢の里は引退します。

−引退の結論に至った理由は

親方 本人から昨日(15日)、話を聞きまして。理由としては、思ったような相撲を取れていない。全力では取っていましたけど。けれど横綱ですから、結果を出さないといけない。なかなかそういう結果にならなかった。

−昨夜、1時間半ほど稀勢の里は部屋に滞在したが、どのぐらい話し合いを行っていたか

親方 本人も思うところあったと思うし、30分ぐらいですかね。そう簡単に決断したことではないと思う。

−2人で話し合ったのか

親方 2人で。

−昨夜、最終的な決断をしたのか

親方 そうですね。夜の遅い時間でしたが。

−本人は何と言っていたか

親方 本人からは「引退させてください」と。

−どんな表情だったか

親方 いたって、いつも通り。平常心ではあるように見えた。でも、いろんな思いはあるなと感じた。

−他に稀勢の里は何か話していたか

親方 「引退させてください」。それだけですね。

−それを受けて師匠からはどんな言葉を返した

親方 自分からは「そうか。ご苦労さん」と。それ以上は声を掛けられなかった。

−引退届はこれから提出するのか

親方 はい。

−思うような相撲を取れなくなった理由は

親方 本人の口からではないが、一生懸命、稽古もやっていたし、できることはやっていたが、なかなか皆さんの前で結果を出せなかった。気持ちの面もあったのではないか。

−師匠から理由は聞かなかったのか

親方 聞いていない。

−もう少し現役を続けてほしかったか

親方 結果を出せるなら、もっとできるのではないかと思っていた。でも、稀勢の里は我慢強い男ですから、引退という言葉を使うということは、それなりの覚悟があったと思う。それを考えたら、もっと続けてほしいとは、ならなかった。

−引退という決断をどう受け止めているか

親方 現役の時から一緒にやってきた。師匠としては、ふさわしくない言葉かもしれないけど、そこまで考えられていない。

初場所が始まってからの様子は

親方 いつも通り。平常心ではあったと思うが、一大決心したぐらいなので、いろんな思いがあるのは顔を見ればすぐ分かった。

−もともと3日目まで負けたら引退といった話はしていたのか

親方 そういうものはない。

−どんな力士だったか

親方 あまり話がうまい方ではないと思うけど、一生懸命で、まじめ。一番は素直だった。

横綱昇進後のこの2年間はどう映ったか

親方 横綱に上がってくれて、うれしい面もあったけど、一番近くにいれば、本人がすごく葛藤しているのは分かった。今、考えると2年はあっという間だった。

稀勢の里引退 茨城知事「これからの活躍を祈念する」
1/16(水) 10:35配信 産経新聞
稀勢の里引退 茨城知事「これからの活躍を祈念する」
大相撲一月場所3日目 栃煌山に寄り切りで敗れた稀勢の里=15日、両国国技館(撮影・今野顕)
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋=が引退することを決め、同県の大井川和彦知事は16日、「大変残念だ。今場所前の報道では元気な姿を見せていたことから、平成最後の初場所での復活を県民と期待して応援していた。大相撲引退は一つの区切りだが、これからの人生での活躍を祈念する」とのコメントを発表した。

稀勢の里引退 通った幼稚園の元園長「ショックで何とも…」
1/16(水) 10:51配信 産経新聞
稀勢の里引退 通った幼稚園の元園長「ショックで何とも…」
大相撲一月場所3日目 稀勢の里栃煌山に寄り切りで敗れる=15日、両国国技館(撮影・佐藤徳昭)
 大相撲の横綱稀勢の里(32)=本名・萩原寛(ゆたか)、茨城県牛久市出身、田子ノ浦部屋=が引退することを決め、当時稀勢の里が通っていた幼稚園の園長だった秋山治子さん(78)は「ショックで何ともいえない。もう一度優勝してからやめてほしいという願いはあった」と話した。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 秋山さんによると、稀勢の里の母親、裕美子さん(63)が昨年12月下旬ごろに秋山さんを訪ね、「元気そうだし、力がついたから大丈夫だよ」と話していたという。

稀勢の里、前夜に「引退します」 田子ノ浦親方に伝える
1/16(水) 10:53配信 毎日新聞
稀勢の里、前夜に「引退します」 田子ノ浦親方に伝える
横綱稀勢の里の引退について報道陣の質問に答える田子ノ浦親方=東京都江戸川区で2019年1月16日午前8時51分、長谷川直亮撮影
 横綱稀勢の里の師匠の田子ノ浦親方(元前頭・隆の鶴)は16日朝、東京都江戸川区田子ノ浦部屋で取材に応じた。師匠は「稀勢の里は出場しません。今日で引退です」と静かな口調で横綱の引退決断を明らかにした。

【写真特集】15年前の稀勢の里、朝げいこで汗

 稀勢の里は15日夜に同部屋を訪れて約1時間半、滞在した。引退は稀勢の里からの申し出だったといい、田子ノ浦親方は「本人から話したいということで話し合った。『引退します』と言ってきた」と説明。話し合いは中断することもあったが、「稀勢の里は我慢強い。そういう力士が引退を話すのは、それなりの覚悟と気持ちがある」と受けとめた。

 稀勢の里は引退の理由は細かく語らなかったという。田子ノ浦親方は「横綱だから結果を出さないと。結果につながらなかったということだと思う」と推察。「ご苦労さん、それ以上は声はかけられなかった」と話した。

稀勢の里は16日午後に記者会見
1/16(水) 11:05配信 共同通信
 現役引退を表明した大相撲の横綱稀勢の里が、16日午後に東京都墨田区両国国技館内で記者会見を行うことが決まった。

稀勢引退 兄弟子・西岩親方「ぼくの中では立派な横綱。尊敬できる後輩」
1/16(水) 11:10配信 スポニチアネックス
 ◇大相撲初場所4日目(2019年1月16日 両国国技館

 入門時から稀勢の里を知る兄弟子、西岩親方(元関脇・若の里)が報道陣に対応した。

 「もっと長くやってほしいとい思いもあって、複雑な気持ちがあります。横綱になって結果がでなくて苦しんでいたけど、ぼくの中では立派な横綱。尊敬できる後輩。優勝2回はすばらしい。やりきったんじゃないですか」

 電話で本人から報告を受けたときには「指導者になっても堂々とやってほしい」と伝えたという。

 先代の鳴戸親方のもとで兄弟子として指導し、切磋琢磨(せっさたくま)もしてきた。誰よりも肌で稀勢の里の相撲を知る同親方。

 「何百回、何千回と稽古してきました。新弟子のころから。突き押しの魅力がありました。押しの圧力があるからこそ、今の稀勢の里がある。自分はその突き押しなかったから、関脇止まりだった」

 苦しむ稀勢の里に、昨年夏巡業から九州場所にかけて「おまえの良さは、突き押しだよ。原点に帰って突き押しからの四つがいい、と言ってきた」と、アドバイスを送っていたことも明かした。

「2年間、格闘していた」 稀勢の里の師匠語る
1/16(水) 11:11配信 時事通信
「2年間、格闘していた」 稀勢の里の師匠語る
厳しい表情で稀勢の里の引退について語る田子ノ浦親方=16日、東京都江戸川区田子ノ浦部屋
◇本人から「引退させてください」と
 横綱稀勢の里の引退は、初場所4日目の16日午前8時40分ごろ、田子ノ浦部屋(東京都江戸川区)に集まった報道陣の前で、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)から明らかにされた。親方とのやりとりは次の通り。

【特集】稀勢の里、苦闘の日々

 −結論は。
 「きょうは出場しません。きょうで稀勢の里は引退をします」
 −理由は。
 「本人からきのう聞いて。理由は深く語りませんでしたが、やっぱり見ていても思ったような相撲が取れていない。全力では取っていましたけど、なかなか取れていないのが現状。横綱ですから結果を出さないといけない。そういう結果につながらなかったということだと思います」
 −昨夜は2人で話したか。
 「2人で話した」
 −ゆうべ結論が出たか。
 「そうですね。遅い時間だったので。きょうもありますし、朝も。でもきのうの夜話したことが全部だったと思う」
 −本人からはどんな言葉で。
 「引退させてください、引退しますと」
 −表情は。
 「至っていつも通り、平常心ではあるように見えました。いろんな思いはあるなと思いました」
 −親方からはどんな言葉を。
 「自分からは、そうか、ご苦労さんと。それ以上はちょっと声を掛けられなかったですね」
 −思う相撲が取れなくなった原因は。
 「それはもう、本人の口からではないので。ただ、一生懸命稽古もやっていましたし、できることをやって、なかなか皆さんの前で結果を出せなかったというのは、気持ちの面もあったんじゃないですか」
 −引退する理由は聞いたか。
 「いや聞いていないです」
 −もう少し現役を続けてほしかったか。
 「結果を出せるならもっとやってほしかった、できるんじゃないかと思っていましたけど。でも稀勢の里は我慢強いですから。そういう力士が引退を話すということは、それなりの覚悟と気持ちがあったと思うので。それを考えれば、続けてほしいとか(いう話に)はならなかったですね」
 −親方になって協会に残ってほしいと。
 「まだそこまで話していませんが、将来的には」
 −師匠として引退の決断をどう受け止めているか。
 「現役の時から一緒にやってきたので。師匠としてそういう言葉はふさわしくないかもしれないが、まだ現実を見られていないというか。ちょっとまだそこまで考えられていないですね。信じられないというか、そこまで考える余裕がないです」
 −今場所に入ってからの横綱の様子は。
 「いつも通り。別に気負っている感じもなかった」
 −ただ、昨夜は違ったと。
 「平常心ではあったと思いますけど、一大決心して来るぐらいなので、いろいろな思いがあるなというのは顔を見ればすぐ分かるので」
 −3日目に負けたら引退するとかいう話し合いは事前にあったか。
 「そんなのはないです」
 −どんな力士だったか。
 「あまり話はうまい方ではないと思いますけど、一生懸命でまじめ。一番は素直なことですね」
 −横綱としての2年間、苦しかったと思うが。
 「横綱になってくれてすごいうれしい面もありましたけど、一番近くで見ていれば、本人がすごい格闘しているなというのは分かりますし。2年はあっという間だったなと思います」
時事ドットコム編集部)

元朝青龍「稀勢の里引退 寂しいな」/初場所
1/16(水) 11:16配信 サンケイスポーツ
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛茨城県出身、田子ノ浦部屋=が大相撲初場所4日目の16日、現役を引退することが決まった。元横綱朝青龍ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏(38)はこの日、自身のツイッターで「稀勢の里引退 寂しいな」とつづった。

 稀勢の里は昨年11月の九州場所横綱として87年ぶりに初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、横綱審議委員会から初の「激励」を決議された。進退が懸かった今場所も初日から3連敗と不振で、昨年9月の秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗。1場所15日制が定着した昭和24年夏場所以降では貴乃花を抜いて横綱の単独ワースト記録となった。横綱在位12場所は昭和以降10番目の短さだった。

稀勢の里貴乃花の悲劇 繰り返された“感動V”の代償
1/16(水) 11:17配信 サンケイスポーツ
稀勢の里貴乃花の悲劇 繰り返された“感動V”の代償
2017年3月26日、逆転優勝を果たし、内閣総理大臣杯を手にする稀勢の里エディオンアリーナ大阪
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛茨城県出身、田子ノ浦部屋=が大相撲初場所4日目の16日、現役を引退することが決まった。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 悲劇が繰り返された。稀勢の里は昨年11月の九州場所横綱として87年ぶりに初日から4連敗(不戦敗を除く)を喫し、横綱審議委員会から初の「激励」を決議された。進退が懸かった今場所も初日から3連敗と不振で、昨年9月の秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗。1場所15日制が定着した昭和24年夏場所以降では貴乃花を抜いて横綱の単独ワースト記録となった。横綱在位12場所は昭和以降10番目の短さだった。

 平成14年春場所初土俵。馬力を生かした攻めを武器に、貴乃花に次いで史上2番目に若い17歳9カ月で新十両に昇進するなど、スピード出世を果たした。その後は足踏みし、22年九州場所後に大関昇進。29年初場所で初優勝し、日本出身で19年ぶりの新横綱となった。

 29年春場所千秋楽、けがを押して出場した稀勢の里は本割で照ノ富士を突き落とし13勝2敗で追い付くと、決定戦では1メートル92、185キロを誇る大関を小手投げで下し、2場所連続2度目の優勝を遂げた。

 13日目の日馬富士戦で左肩を負傷。取組後に三角巾で患部を固定し、救急車で大阪市内の病院へ搬送された。ファンの期待と不安が入り交じる中、14日目の鶴竜戦に強行出場も2秒余りで寄り切られ、万事休すと館内からため息がもれた。

 奇跡の逆転劇に平成の大横綱の姿がだぶってみえた。13年夏場所千秋楽。横綱貴乃花は前日に右膝半月板を損傷する重傷を負い、師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)からも休場を勧められながら、優勝がかかっていたため強行出場した。

 本割では横綱武蔵丸に簡単に突き落とされた。2敗で並び、優勝決定戦へ。そこで上手投げで相手を土俵へ転がし、両目を見開き、「鬼の形相」を浮かべ、内閣総理大臣杯を手渡した当時の小泉純一郎首相は「感動した!」と絶叫した。その一方で日本列島を感動の渦に巻き込んだ代償は大きく、貴乃花はその後、7場所連続休場し、引退へと至った。

 くしくも新横綱の優勝は平成7年初場所貴乃花以来、22年ぶり8人目の快挙となった。土俵を務めることが力士の使命という気持ちの表れだったのか、稀勢の里は表彰式の君が代斉唱の途中で肩を震わせて泣いた。優勝インタビューでは、「いまはしっかり治してまた5月場所に元気な姿を見せられるように、あしたからしっかり治療に専念していきたい」ときっぱり口にしたが、その後は8場所連続休場で年6場所制となった昭和33年以降、7場所連続全休の貴乃花を抜くワースト記録を更新。22回戴冠した平成の大横綱と同じく、復活優勝を遂げることなく、志半ばで土俵を去った。

稀勢兄弟子の西岩親方、引退に「残念、仕方ない」
1/16(水) 11:18配信 日刊スポーツ
稀勢兄弟子の西岩親方、引退に「残念、仕方ない」
稀勢の里の引退について質問される西岩親方(撮影・河田真司)
大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が引退を決断したことを受け、兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)が16日、東京・両国国技館で「残念な気持ちと、仕方ないという気持ち。横綱になってから結果が出なくて苦しんだと思うが立派な横綱だった」とねぎらった。

【写真】笑顔を見せる稀勢の里

15日の夜に稀勢の里から電話があり、引退の意向を聞いた。電話越しのため、稀勢の里の様子は分からなかったという。稀勢の里はすでに年寄「荒磯」の名跡を取得しているため「これから指導者になって堂々と歩いてほしい」と、本人に伝えた。引退の意向を聞いた瞬間、15歳で入門してきた当時を思い出した。「あれだけ意志の強い15歳はいない。みるみる強くなってあっという間に追い越された」。懐かしむように、神妙な面持ちで語った。

稀勢の里は昨年の秋場所千秋楽から、15日の初場所3日目まで3場所にわたり8連敗(不戦敗を除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となっていた。実力の衰えも指摘される中、西岩親方も「一番良いときに比べればね」と否定しなかった。8連敗中は左四つにこだわる場面が目立ったが「僕は常々稀勢の里に『稀勢の里の一番の長所は左四つじゃなくて突き押しだよ』と伝えた」と同親方。「突き押しがあったからスピード出世もできて、横綱になれたと言い続けたんだけどね…。本人の体調もあったと思うけど」と残念そうに語った。

横綱本人から引退申し出 涙ぐむ師匠、慰留せず
1/16(水) 11:29配信 共同通信
横綱本人から引退申し出 涙ぐむ師匠、慰留せず
横綱稀勢の里の現役引退を明らかにし、集まった報道陣に一礼する田子ノ浦親方=16日午前、東京都江戸川区
 大相撲の横綱稀勢の里関の動向が注目された16日、東京都江戸川区田子ノ浦部屋に60人以上の報道陣が早朝から集まり、緊張感が漂った。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は午前8時40分すぎに「今日で稀勢の里は引退します」と、横綱の決断を明かした。

 初場所で初日から3連敗した15日の夜、田子ノ浦部屋稀勢の里関と2人で30〜40分ほど話し合ったといい、横綱本人から「引退させてください、引退します」と申し出があった。

 師匠は理由を聞くことも、慰留もしなかった。「自分からは『そうか、ご苦労さん』と。僕もそれ以上声を掛けられなかった」と時折、涙ぐみながら話した。

横綱優勝、感動と代償と 稀勢の里、けがの前の体に戻れず
1/16(水) 11:30配信 毎日新聞
横綱優勝、感動と代償と 稀勢の里、けがの前の体に戻れず
横綱稀勢の里の引退について報道陣の質問に答える田子ノ浦親方=東京都江戸川区で2019年1月16日午前8時51分、長谷川直亮撮影
 大相撲当代きっての人気力士、横綱稀勢の里(32)が土俵を去る。東京・両国国技館での初場所3日目の15日、初日から3連敗を喫したのが現役最後の相撲になった。新横綱優勝を遂げた2017年3月の春場所で左胸や腕を痛めた影響は大きく、その後の皆勤は昨年秋場所だけ。横綱としての勝利数は年6場所制で最少の36に終わったが、真摯(しんし)に相撲に向き合う姿は多くのファンに愛された。

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 稀勢の里は17年春場所、初日から12連勝で迎えた13日目に横綱日馬富士(引退)に寄り倒されて敗れた際、左胸などを痛めた。14日目は連敗。しかし、千秋楽は1敗の大関照ノ富士(現三段目)に本割で勝って並び、優勝決定戦も制して2場所連続優勝を遂げた。横綱土俵入りの際のかしわ手もまともに打てない状況で賜杯を手繰り寄せ、優勝インタビューで「今回は泣かないと決めたんですけど」と言いながら涙を拭う姿は感動を呼んだ。

 しかし、代償は大きく、横綱としての2年間は自身のけがとの闘いになった。翌夏場所から、年6場所制の横綱で最長の8場所連続休場。「進退を懸ける」と臨んだ昨年秋場所は10勝を挙げてどうにか横綱の責務を果たした。兄弟子の西岩親方(元関脇・若の里)は「優勝してこそ本当の復活」と再び賜杯を抱くことを期待していた。だが、所属する田子ノ浦部屋と同じ二所ノ関一門の尾車親方(元大関・琴風)は「もはや左は昔の力は出ない」と、けがの前の体には戻れない状態であることを示唆していた。

 続く九州場所横綱として87年ぶりの初日から4連敗を喫して途中休場。そして、初場所も初日から3連敗。ファンの変わらぬ声援に「再起」で応えることはかなわず、17年間の土俵人生に別れを告げた。【飯山太郎】

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田子ノ浦親方 稀勢の里の決断にかける言葉が続かず「もっと続けてとは…」
1/16(水) 11:33配信 デイリースポーツ
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稀勢の里の引退を発表した師匠の田子ノ浦親方=東京都江戸川区田子ノ浦部屋(撮影・中田匡峻)
 大相撲の第72代横綱稀勢の里(32)=本名萩原寛田子ノ浦部屋=が現役を引退することを16日、表明した。初場所4日目のこの日朝、都内の部屋で師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が会見して発表した。

 稀勢の里は初日から3連敗となった前夜、田子ノ浦親方と30分程度の会談。「引退させて下さい、引退します」と申し出たという。親方は「そうか、ご苦労さん」とねぎらったが、「それ以上の言葉はかけられなかった」という。

 横綱昇進後の2年はけがとの戦いで、絶頂もどん底も味わった。「(横綱昇進は)うれしい面はあったけど本人はすごい格闘していた。あっという間だった」と目を潤ませた。ただ、限界まで戦い抜いた横綱の決断を尊重。「結果を出せるならもっとファンの方も私もやってほしいと思うけど。稀勢の里は我慢強い力士。引退というのは覚悟があった。それを思えばもっと続けてとはならなかった」と語った。

白鵬“ライバル”稀勢の里引退を惜しむ「さみしい。一生懸命さが伝わる力士だった」
1/16(水) 11:37配信 スポーツ報知
白鵬“ライバル”稀勢の里引退を惜しむ「さみしい。一生懸命さが伝わる力士だった」
稀勢の里引退について語った白鵬
 横綱稀勢の里(32)=田子ノ浦=の引退を受け、長年しのぎを削ってきた横綱白鵬(33)=宮城野=が16日、東京・墨田区宮城野部屋での朝稽古後、取材に応じ「さみしい。本当にお疲れさまという言葉に尽きる」と引退を惜しんだ。印象については「普段は明るく初々しい好青年だった。そして他の力士に比べて一生懸命さが伝わってくる力士だった」と振り返った。

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 白鵬は通算の対戦成績で44勝16敗と大きく上回っているが、優勝を決める取組など節目では大勝負を繰り広げ、自他共に認めるライバルだった。特に横綱双葉山の持つ前人未到の69連勝超え狙っていた2010年九州場所では2日目に当時・東前頭筆頭だった稀勢の里に寄り切られ、63連勝で止められた苦い思い出もある。思い出の取組は「やっぱり63連勝を止められたこと。でもあの黒星があったから自分はここまで頑張れている」と感謝した。両者の対戦は昨年秋場所13日目が最後となり、寄り切りで白鵬が勝利。これが横綱同士としては最初で最後の対戦となってしまった。

 衰えを指摘されることも増えた白鵬だが、今後も横綱として鶴竜(33)=井筒=と一緒に角界をリードしていく。

 ◇2010年九州場所2日目(11月15日)の白鵬稀勢の里 白鵬は右で稀勢の里の顔を張ってもろ差しを狙い前に出た。だが、はたかれ体勢を崩す。土俵際で得意手とは逆の左四つ。追い込まれ強引に左ですくった。更に左足で内掛けを繰り出した。だが苦し紛れの技で体勢を崩して敗れた。

引退の稀勢の里 成田山新勝寺の豆まき欠席 昨年まで14年連続参加 海老蔵「お疲れ様でございました」
1/16(水) 11:55配信 スポニチアネックス
引退の稀勢の里 成田山新勝寺の豆まき欠席 昨年まで14年連続参加 海老蔵「お疲れ様でございました」
成田山節分会で豆まきをする稀勢の里
 横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。

 千葉県成田市成田山新勝寺はこの日、稀勢の里が参加予定だった2月3日の節分会の豆まきを欠席すると明らかにした。稀勢の里は、同所での豆まきに2005年から18年まで14年連続で参加していた。

 節分会には、横綱白鵬(33=宮城野部屋)や歌舞伎俳優の市川海老蔵(40)が参加する予定。海老蔵は自身のブログで「毎年成田山新勝寺様での節分でお目にかかる事が出来た事 幸せでした」と思い出にも触れ、最後は「お疲れ様でございました」と稀勢の里をねぎらった。

白鵬 稀勢の里の思い出「63連勝で止められた時」
1/16(水) 11:56配信 日刊スポーツ
白鵬 稀勢の里の思い出「63連勝で止められた時」
横綱稀勢の里
稀勢の里の引退について、横綱白鵬(33=宮城野)が16日、都内の部屋での朝稽古後に心境を語った。一報は「朝、奥さんから聞いた」と言い、第一声は「さびしいって感じですね」だった。

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稀勢の里の3日目までの相撲を土俵下から見た印象は「相撲をとろうって見えてました。表情も良かった。でも、終わってみて考えてみれば、心ここにあらずというか」だったという。

一番の思い出について問われると「それは63連勝で止められた時ですよ」と即答した。「遠慮なく向かって来た。だから、連勝を止められた。横綱になってくれた時はうれしかった。連勝を止めた力士ですからね。あの黒星があったからこそ、私も頑張れたんです」と話した。

稀勢の里の人柄を「本当に明るくて、初々しい感じ」と語った。「周りからは言葉少な、暗いとか思っているかもしれないけど、全く逆で、好青年ですよ、私も同じく。稽古場でもどこでも“いやです”と断られたことは1度もない」。

力士としては「上に上がって行こう、行こうっていう気持ちがあった。番付は自分が先に上がりましたけどね。一生懸命さは他の力士に比べると強かったと思います」とたたえる。

稀勢の里が8場所連続休場など、復活に向けて苦しんでいたことに「けがや痛みは、その人にしかわからない」と語った。その際、稽古で相撲をとったり、言葉をかけたりもした。「指導者になる時、横綱を務めた経験があると違います。できる限りのことをしようと思った。でも、一門が違うのでね。もっとこうしたら良かったという思いはあります」

稀勢の里に掛ける言葉は「本当にお疲れさまでした、しかない」という。日馬富士に続き、稀勢の里の引退で、横綱は2人になる。「(横綱は)つらい、大変なことなんです。周りからの見た目は良くても、勝たないとダメ。極端に言えば、引退、負けるっていうのは、死ぬってこと。託された感じになりますね。その分頑張っていくしかないです」と話した。

朝青龍 稀勢の里の引退に「寂しいな」エール届かず…
1/16(水) 11:57配信 デイリースポーツ
朝青龍 稀勢の里の引退に「寂しいな」エール届かず…
横綱朝青龍
 大相撲の元横綱朝青龍が16日、ツイッターを更新。第72代横綱稀勢の里が引退を決断したことを受け、「稀勢の里引退」「寂しいな」とつぶやいた。

【写真】横綱伝達式を終え、高安らに担がれガッツポーズの稀勢の里

 朝青龍はこの日、フジテレビ系「とくダネ!」にVTRで出演。引退が明らかになる前の稀勢の里について「正直言って特別なんですよ。日本を背負った男なんですよ」と語り、4日目についても「絶対に出るべきだと思います」となどとエールを送っていた。

 ふたりは稀勢の里が04年に幕内昇進後、朝青龍が引退した10年まで、幾度も名勝負を繰り広げた。

稀勢の里引退決断 歴代最低“36勝36敗97休”の不名誉記録残し
1/16(水) 12:00配信 日刊ゲンダイDIGITAL
稀勢の里引退決断 歴代最低“36勝36敗97休”の不名誉記録残し
初日から3連敗(C)日刊ゲンダイ
 進退に注目が集まっていた横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が、ついに引退を決断した。

 師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)が16日朝、東京・江戸川区田子ノ浦部屋で報道陣に対応し、明らかにした。これで日本人横綱は不在となった。

 横綱昇格後は精彩を欠いていた稀勢の里は、今場所初日から振るわず、15日には東前頭筆頭の栃煌山に寄り切られて3連敗。昨年9月の秋場所千秋楽から8連敗(不戦敗を除く)を喫した。1場所15日制が定着した1949年夏場所以降では、貴乃花が1999年名古屋場所12日目から同年九州場所初日までに喫した7連敗を抜いて横綱では単独ワースト記録を更新した。横綱による2場所連続での初日からの3連敗も、1931年の宮城山以来88年ぶりの不名誉だった。

 2017年1月に日本出身力士としては、3代目若乃花以来19年ぶりに横綱昇進を果たした稀勢の里。同年春場所で昇進後初優勝したが、左上腕、左足首、腰など度重なる故障に見舞われ、17年夏場所からは8場所連続休場を余儀なくされた。横綱在位12場所の取組では36勝36敗(休場97回)の勝率5割は歴代最低である。

 稀勢の里は「史上最弱横綱」の汚名を返上できぬまま土俵を去ることになった。

田子ノ浦親方のコメント
「思ったような相撲が取れていない。横綱として結果を出さないといけない。そういう結果が出なかった。本人も思うところがあったと思う。簡単に決断したことではない」

稀勢の里引退に涙ぐむ師匠「声をかけられなかった」
1/16(水) 12:04配信 産経新聞
稀勢の里引退に涙ぐむ師匠「声をかけられなかった」
報道陣の囲み取材に応じ、横綱稀勢の里の引退を伝える田子ノ浦親方=16日、東京都江戸川区(撮影・佐藤徳昭)
 東京都江戸川区田子ノ浦部屋には16日早朝から60人以上の報道陣が集まった。師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は午前8時40分すぎに「今日で稀勢の里は引退します」と横綱の決断を明かした。

【年表】横綱昇進後の稀勢の里の成績

 3連敗を喫した15日夜、稀勢の里関と2人で何度か時間を空けながら計30〜40分ほど話し合った。横綱本人から「引退させてください、引退します」と申し出があったという。

 師匠は理由を聞くことも慰留もしなかった。「平常心であるようには見えました。いろんな思いはあるなとは思いましたけど。自分からは『そうか、ご苦労さん』と。僕もそれ以上、声をかけられなかった」と時折、涙ぐみながら話した。

稀勢の里引退に、兄弟子の西岩親方「立派な横綱。尊敬できる後輩」
1/16(水) 12:14配信 デイリースポーツ
稀勢の里引退に、兄弟子の西岩親方「立派な横綱。尊敬できる後輩」
 西岩親方
 「大相撲初場所・4日目」(16日、両国国技館

 横綱稀勢の里の引退を、兄弟子で元関脇若の里西岩親方(42)も残念がった。前日の夜に稀勢の里から電話で引退の連絡を受けたとのことで、「もっと長くやって欲しい気持ちと複雑な気持ちがありました。横綱になって結果が出なくて苦しみましたけど、自分の中では立派な横綱。尊敬できる後輩です。横綱に昇進するのは誰にでもできることじゃない。自分も大関になるのがどれだけ大変か分かっている。優勝を2回して、すばらしい活躍だった。やりきったんじゃないですか」と、土俵を去る弟弟子をたたえた。電話では「立派な横綱なんだから、これから指導者になっても堂々と前へ進んで欲しい」と声をかけたという。

 続けて、「昨日、15歳で入ってきたときのことを思い出しましたよ。ボクが25歳、三役ぐらいの頃。毎日稽古をつけてましたよ。(稀勢の里が)十両に上がるまで(付け人で)付いていたので」と記憶をたどり、「亡くなった師匠(元横綱隆の里鳴戸親方)から、『お前に預けるから強くしてやれ』と言われて預かったので、毎日稽古をつけましたけど、みるみる強くなって、あっと言う間に追い越してしまいました」と振り返った。

 弱音は一切吐かなかったと言う。「片方は新弟子で片方は三役。苦しかったと思いますけど、それでも毎日『お願いします』と言ってきた。これだけ意志の強い15歳は見たことない」と話した。

 また、稀勢の里の強さについて「一番の良さは左四つじゃなくて突き押しだよと常々言ってきた。押しがあったからこそ、スピード出世で横綱までなれた。ボクは誰よりも(稀勢の里と)稽古をしたと思うので、あの突き押しは魅力ありましたよ」と説明。「原点に帰って、突き押しからの四つと言ってきたんですけど、本人もケガの具合、体調とかいろいろあったと思う。精いっぱいのことをやってきたと思う」としみじみ話した。

阿武松部長「鮮烈な連続優勝」浅香山親方「本人が一番、悔しい」角界から稀勢ねぎらう声
1/16(水) 12:20配信 スポニチアネックス
阿武松部長「鮮烈な連続優勝」浅香山親方「本人が一番、悔しい」角界から稀勢ねぎらう声
横綱稀勢の里
 横綱稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)が現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。進退を懸けていた初場所で初日から3連敗を喫していた横綱が下した決断を受け、日本相撲協会関係者からは、引退を惜しむ声やねぎらいの言葉が上がった。

 審判部の阿武松部長(元関脇益荒雄)は「2場所連続の鮮烈な優勝は私も頭の中に残る」と、17年の初場所春場所の優勝を振り返りつつ「本音を言えば、横綱としてもっと土俵に上がって白星を重ねてほしかった」と残念がった。

 度重なるけがに苦しみながらも史上2位の通算1047勝を積み上げた浅香山親方(元大関魁皇)は「一つ勝てば変わる気はしたんじゃないか。本人が一番、悔しいと思う」。兄弟子に当たる西岩親方(元関脇若の里)は「もう一度、復活してほしい気持ちもあった。残念という気持ちとよくやったという気持ち」としながらも「横綱になってからけがをして苦しんだけど、僕の中では立派な横綱だった」とねぎらった。

 また、関脇転落から2度の大関復帰を果たした玉ノ井親方(元大関栃東)は「けがもあったが、できることを最優先にやってきた。もう一番勝ちたいという気持ちがあったと思うが、ここまでよくやった」とたたえた。

稀勢の里引退 鈴木大地スポーツ庁長官「本当にお疲れ様でした」
1/16(水) 12:25配信 スポニチアネックス
稀勢の里引退 鈴木大地スポーツ庁長官「本当にお疲れ様でした」
栃煌山に敗れ、冴えない表情の稀勢の里(撮影・島崎忠彦)
 鈴木大地スポーツ庁長官は神奈川県内で行われた講演会の後、取材に応じ、引退を表明した横綱稀勢の里へはなむけの言葉を贈った。

 「横綱として、成績にご自身が納得いかなかったのかもしれませんね。ケガとの戦いであったと思います」と気遣い「身を削りながらよく稽古されてのぼりつめられた」とここまでの歩みを称えた。「満身創痍だと思うのでゆっくり休んでいただければ。本当にお疲れ様でした」とねぎらった。

稀勢引退で角界からさまざまな声 「鮮烈な連続優勝」
1/16(水) 12:26配信 共同通信
稀勢引退で角界からさまざまな声 「鮮烈な連続優勝」
2017年3月、大相撲春場所で2場所連続2度目の優勝を果たし、賜杯を手にする横綱稀勢の里大阪市
 横綱稀勢の里の引退決断を受け、日本相撲協会関係者はさまざまな思いを述べた。審判部の阿武松部長(元関脇益荒雄)は「2場所連続の鮮烈な優勝は私も頭の中に残る。本音を言えば、横綱としてもっと土俵に上がって白星を重ねてほしかった」と残念がった。

 度重なるけがに苦しみながらも史上2位の通算1047勝を積み上げた浅香山親方(元大関魁皇)は「一つ勝てば変わる気はしたんじゃないか。本人が一番、悔しいと思う」と引退を惜しんだ。兄弟子に当たる西岩親方(元関脇若の里)は「残念という気持ちとよくやったという気持ち。けがをして苦しんだけど立派な横綱だった」とねぎらった。

「生真面目で不器用」悲運の短命横綱ケガに泣く
1/16(水) 12:39配信 読売新聞
「生真面目で不器用」悲運の短命横綱ケガに泣く
現役引退を発表した稀勢の里関のパネルと記念写真を撮る大相撲ファンら(16日午前、両国国技館で)=泉祥平撮影
 大相撲の横綱稀勢の里関(32)が、土俵を去ることになった。横綱在位はわずか2年で、千秋楽まで取り切ったのは2場所だけ。待望の日本人横綱として注目されたが、2年前の春場所優勝の代償として負ったけがに最後まで泣いた。「生真面目で不器用」と評された悲運の短命横綱に、ファンからは惜しむ声が上がった。

 16日朝、引退を発表した師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)によると、前夜、初めて進退について30〜40分、話し合った。横綱は普段と変わらない様子だったが「我慢強い稀勢の里が引退の話をするというのは、それなりの覚悟があったと思う」と心情を察した。

 かつて同じ部屋に所属していて、兄弟子に当たる西岩親方(元関脇若の里)は「横綱になって結果が出なくて苦しんだが、自分の中では立派な横綱だった」と寂しそうに話した。阿武松審判部長(元関脇益荒雄)は「もっともっと、横綱として土俵に上がって白星を重ねてほしかった」と残念がった。

やくさん「自分の型、愚直なまでに貫いた」 稀勢の里
1/16(水) 12:44配信 朝日新聞デジタル
やくさん「自分の型、愚直なまでに貫いた」 稀勢の里
稀勢の里等身大パネルの前で写真を撮る人たち=2019年1月16日午前10時15分、東京・両国の国技館、小玉重隆撮影
 大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断した。初場所で初日から3連敗して一夜明けた16日朝、師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)が明らかにした。

【写真】東京・両国の国技館前で、稀勢の里等身大パネルと写真を撮る人たち=2019年1月16日午前10時12分、小玉重隆撮影

 相撲通の漫画家やくみつるさんは初場所の取組について「限界を超えていたが、土俵に執着した。負けが続いても『こんなはずでは』と辞められなかった心情は大いに理解できるが、肝心の取組のほうにこの粘りがほしかった」と話した。

 「若くして横綱になり、さらに強くなっていく白鵬のようなタイプとは逆に、なかなか横綱になれずに30歳を過ぎてようやく昇進したのが稀勢の里だ」とし、成績はふるわなかったが「力士としての晩年にようやく横綱になった『到達型』の横綱だったということで、力士としての評価をいささかも減じるものではない」と評価した。

 横綱としての勝率は5割ほど。「それでも国技館が静まりかえるぐらい観客から感情移入された、まれな存在。解説者や評論家に取り口を変えるよう指摘されても自分の型を変えず、あるいは変えることができず、愚直なまでに貫いた。性格的にも白鵬とは対極にあり、沈黙すべきは沈黙する、昔の力士像を体現していた」と振り返った。


玉木正之さん「苦労した分、良い親方に」

 大相撲の横綱稀勢の里が引退を決断したことについて、相撲に関する著書があるスポーツ評論家の玉木正之さんは「引退は非常に残念。日本出身の横綱として、もう少し活躍してほしかった」と残念がる。

 19年ぶりに誕生した日本出身の横綱だった稀勢の里。「ファンや報道、周囲が日本人横綱として意識し過ぎていたのかもしれない。ほかのモンゴル出身の横綱と常に比較され、孤立しているようにみえた」

 初場所の初日から取組を注視していたが、力が入っていないと感じた。「けがが重なって休みが続いた。稽古不足が気迫の無さに出ているように見えた」と振り返る。

 「土俵上でのガチンコの取組」が魅力だったと話す。「昇進するまでに時間がかかり、30歳を過ぎての横綱だった。けれどそれは彼の愚直さの表れで、だからこそファンも応援し続けた」とみる。

 「これからは苦労した分だけ、若い力士のつらい気持ちもくみ取れる、良い親方になってくれると思う」

田子ノ浦親方「まだ現実をみてない、信じられない」 稀勢の里引退に
1/16(水) 12:47配信 スポーツ報知
田子ノ浦親方「まだ現実をみてない、信じられない」 稀勢の里引退に
田子ノ浦親方
 田子ノ浦親方の一問一答

 ―(初場所)4日目の出場は?

「出場しません。・・・今日で稀勢の里は、引退します」

【写真】貴景勝の母が「ありえない美人」と話題沸騰

 ―決断の理由は

「本人から昨日、話を聞いて、本人は理由というのは深くは語らなかったですけど、思ってるような相撲を取れていないと、全力では取っていましたけどなかなかとれていないというのが。横綱ですから結果をださないといけない。なかなかそういう結果にいかなかったと」

 ―昨日はどんな話し合いが?

「本人も思うことがあったと思いますし、30分、40分くらい。30分くらいですかね。まぁでもそう簡単に決断したことでは無いとは思います」

 ―師匠お二人で話しになった?

「二人で話しました」

 ―昨日の夜に最終決断?

「そうですね、夜。まあ今日もありますし、朝も。でも今日、昨日の夜話したことがやっぱりほとんどだったと思うので」

 ―横綱からはどういう言葉が

「まぁ本人からは、引退させて下さい、引退しますと言われました」

 ―どんな表情だった?

「んー、そうですね。まあ、んー、いたっていつも通りではありました。平常心では、あるようにみえましたけど、やっぱり色んな思いがあるのは見えましたけど」

 ―親方からはどういう言葉を

「自分からは、そうか、ごくろうさんと。ちょっとそれ以上は自分からは声をかけられなかったですね」

 ―引退届けはこれから?

「はい」

 ―3、40分というのはどのような内容だった?

「途中、時間もあけてるんですけど、まぁ、特にどういう話しというわけではなくて、考えることがあったんで」

 ―本人の言葉としては「思うような相撲が取れない」「引退させて下さい」だけ?

「引退させて下さいと。それだけですね。特になにかいろいろ、話す感じではなかった」

 ―思うような相撲が取れなくなった原因というのは?

「それはもう、本人の口からじゃないんで。ただ一生懸命稽古もやって、皆さんの前に結果を出せなかったというのが。気持ちの面もあったんじゃないか」

 ―引退される理由は聞いた?

「いや、聞いてないです」

 ―親方としては続けてほしかった?

「結果をだせるなら、もっとファンの方にも、本人にももっとやってほしかった、出来るんじゃないかとはおもってまたけど、稀勢の里は我慢強いですから。そういう力士が引退を話すと言うことはそれなりの気持ちと覚悟があったと思うので、それを考えたら、もっと続けてほしいとか、そいうのは、なかなか」

 ―今後は、親方として協会に?

「そうですねまた、将来も、これからもまたまだちょっと話してないので、でも将来的にはそうなってくる」

 ―親方として、稀勢の里の引退という決断をどう受け止めている?

「現役の時から一緒にやってきたので、師匠としてはそういう言葉はふさわしく無いのかも知れないですけど、まだ現実をみてないというか、ちょっとまだそこまで考えられてない。信じられないというか、そこまでちょっと考える余裕がない」

 ―場所に入ってからの横綱の様子は?

「いつも通りです、いつも通りです。だから別にもう、気負ってるわけではなく、いつも通り。」

 ―ただ昨夜は違った?

「違ったというか、平常心でしたけど、やっぱ一大決心してくるくらいなんで、色