行方不明だったPSPダンボールの中から発見。
ただしPS3と接続しても反応せず。ゲームのダウンロードはパソコン経由でやった。
ソフトを入れたりする必要があって結構面倒だった。だが、無事ゲームを起動できるようになった。
もうすぐPSvitaを買おうと思っていたが、あと2年くらいはPSPで粘ることにする。
ソフトはvitaに引き継げるとあって、ダウンロードのほうは任天堂と違ってソニーは優秀だ。

エジプト革命 軍とムスリム同胞団、そして若者たち

作者: 鈴木恵美
発行:2013年
エジプト革命 軍とムスリム同胞団、そして若者たち (中公新書)
エジプトも長らくムバラク大統領の独裁が続いていた。
それが2011年の革命で終わりを告げた。
エジプトの革命とはなんだったのか、そしてその後はというレポート。


エジプトの大統領は初代のナギーブから四代のムバラクまで軍出身。でも大統領は軍を完全に統括できているわけではなく、軍もかなり独立性をたもっている。そのため、ムバラク辞任時にもきっかけは民衆の運動だったが最後に引導を渡したのは軍部が大統領に協力をしないと決めたことである。


ムバラク退陣後、民主化を進めることとしたのだが、その際は軍部と青年勢力との交渉が行われた。しかし、ここであつれきが起こる。軍部が提案する政府の人事案などに青年勢力が反対をする。次第に軍部はいらだってくる。青年団はデモをする。なぜか青年団のデモに熱狂的なサッカーのサポーターや浮浪者のようなものが加わり、警官隊たちとの衝突で多数出た死傷者は運動家ではなく何故か彼らである。バカ騒ぎに便乗したということだろうか。


選挙の前に政党が組織されていくのだが、その際既存の宗教組織ムスリム同胞団が活動を行い、選挙制度を自分たちに有利なように設定。そして、議会選挙の結果、多数の席を獲得したのは宗教組織がバックにある政党ばかりである。宗教組織がバックにあると当局からも活動が制限されにくく、また地方の農村の住民にも支持をえられやすい。青年活動家にとっては大きな失望である。


さらに大統領選挙でも、青年活動家やリベラル派の支持した候補者は第3位。1位と2位の決選投票となるが、ひとりはムスリムが指示するムルシー。もうひとりは前大統領が退任時に後継者に指名したシャフィークさん。この人が2位なんて革命とはなんだったんでしょう。青年たちはやむをえず決戦投票ではムルシーに投票。そして大統領選挙の結果選ばれたのはムルシー。


しかし、ムスリム同胞団側の人間でイスラム色が強く、就任後はすぐにリベラル派や青年勢力などと対立。さらに経済的にもうまくいっていないようで、一般生活者からも不満。またまた大統領への退陣要求が行われる。


なんで選挙の結果選ばれた大統領に一年かそこらで退陣要求されるのかというと、ひとつは選挙の結果が信じられていないということ。農村部の字が読めない人の選挙は、組織的動員で誘導された結果の可能性が高い。もうひとつは、たとえ選挙で選ばれても、その後の運動によって大きなデモ等があれば、そちらを民意とする国民意識がある。昔からエジプトの国民はイギリスに反対するなど、そうやって政治をしてきた。


「エジプトに民主主義はまだ早い」と前ムバラク大統領時の補佐官は言っている。

緑の書

著者: ムアンマル・アルカッザーフィ
発行:1975年
緑の書
著者はカダフィのこと。リビアの独裁者である。
そんな彼の書いた思想書というか政治・社会に関しての書物である。


第一部のタイトルが民主主義問題の解決とある。
彼は独裁者である。どんな理屈をもって独裁を正当化しているのかというと、まず今日の議会制民主主義がだめだというのである。この制度では、場合によっては、国民の少数からしか支持を得ていないものが当選する可能性があると。つまりは間接民主制がだめだというわけですね、だから自分の独裁はいいということか。リビアでは選挙の結果カダフィが選ばれていたのかどうかがわからん。でも、カダフィ本人は自分の統治は民主主義の結果によるものだと考えているというだけは分かった。


本の下段に重要な部分が書き出されているので、それを抜き出してみた。
・人民の代表というものはありえない。代表とはペテンである。
・議会とは欠席裁判である。
・議会は、民主主義を歪曲するものである。
・政党制は、民主主義の破産である。
・政党をつくることは社会を分裂させる。
・人民会議なくして民主主義はない。
・民主主義は人民がみずからをコントロールすることである。
・民主主義は人民による統治であり、人民を代弁するものではない。
・賃金労働者ではなく、共同参加者たれ。
・自由は必要の中に潜んでいる。

qma問題集 エジプトの地理と現代史

【連想】
1922年に独立
主要産業は観光
スエズ運河
首都はカイロ
→エジプト


【順番当て】
エジプトの正式国名として使われた名称を古い順に
→エジプト王国(1922)→エジプト共和国(1953)→アラブ連合共和国(1958)→エジプト・アラブ共和国(1971


【順番当て】
エジプトの歴代大統領を就任した順に
→ナギーブ(1953)→ナセル(1956)→サダト(1970)→ムバラク(1981)


【文字パネル】
2011年の民主化でもにより約30年間に渡り務めていたエジプト大統領の座から退いた政治家はホスニー・○○○○?
ムバラク


【スロット】
2012年6月に行われたエジプトの大統領選挙に勝利し第5代大統領に就任した人物はムハンマド・○○○?
→モルシ


【並べ替え】
大統領を辞任したムバラクに代わり、エジプトの国家元首代行を務めている軍人はムハンマドフセイン・○○○○○?
→タンタウィ


【並べ替え】
2011年3月に、エジプトでムバラク大統領の辞任後に成立した新内閣で首相に就任した政治家は?
→エッサム・シャラフ


【グループ分け】
次のアフリカの100万都市をそれがある国ごとにグループ分けしなさい
→エジプト:カイロ、ギザ、アレクサンドリア


【順番当て】
次のエジプトの都市を北から順に選びなさい
アレクサンドリア→カイロ→ルクソール


【タイピング】ツタンカーメン王の墓で有名な王家の谷がある、かつて都テーベが置かれたエジプトの都市は○○○○○?
ルクソール


【スロット】
世界的に有名な観光地となっている「三大ピラミッド」があるエジプトの都市は?
→ギザ


【タイピング】
フランス人レセップスの指揮で1869年に完成した,地中海と紅海を結ぶ水平式の運河は○○○運河?○を答えなさい
スエズ


【並べ替え】
スエズ運河を建設したフランスの外交官といえば?
→レセップス


【文字パネル】
アメリカ大陸横断鉄道とスエズ運河が開通した年は同じ西暦何年?
→1869


【○×】
スエズ運河パナマ運河、距離が長いのは スエズ運河である
→○


【○×】
スエズ運河パナマ運河、先に開通したのはパナマ運河である
→×


一問多答
次のうち、国際運河を全て選びなさい
→○スエズ運河パナマ運河


【文字パネル】
スエズ運河北端の都市に名を残す、スエズ運河の開発をレセップスに命じた当時のエジプト総督は○○○○・パシャ?
→サイード


【タイピング】
スエズ運河の北端にあるエジプトの港湾都市ポートサイドの由来となった総督はサイード・○○○?
→パシャ


【キューブ】
スエズ運河の地中海側入り口に位置するエジプトの都市
→ポートサイド


【スロット】
エジプトとスーダンの国境に位置する、1970年のアスワンハイダム建設によって誕生した人工湖は○○○湖?
→ナセル



【文字パネル】
2008年11月に、およそ4300年前の女王のピラミッドが発掘されたエジプト・カイロ近郊の遺跡は「○○○○遺跡」?
→サッカラ


【並べ替え】
2013年に、クフ王の時代のものと考えられる世界最古級の港の跡が発見され話題となったのはエジプトの何地区?
→ワディジョーフ


【四択】
小部族の国家から発展したエジプトの行政単位を何という?
→ノモス


【○×】
世界遺産になっているエジプトの古代都市テーベには有名な「王家の谷」の他に「王妃の谷」もある
→○


【スロット】
映画製作者としても知られる1997年ダイアナ妃と共に交通事故で亡くなったエジプトの資産家は?
→ドディ・「アルファイド」


【スロット】
1985年にロンドンのデパート「ハロッズ」を買収したエジプトの富豪は?
→モハメド・「アルファイド」


【順番当て】
エジプトの作家ナギブ・マフフーズの代表作のタイトルに
→バイ→ナル→カス→ライン